給食のありがたみを感じる2013/09/24

大盛りにしてもらったカレー♪
4時間目が終わって教室へ向かうとき、(準備がちゃんと進んでるかなー?)と思いながら,そそくさと職員室を出て行きます。

職員室で給食を食べる先生方の話題は「今日はどんな給食かな?」ではなく,たいてい給食への批評です。

わたしはその会話に混ざりたくありません。聞きたくないと思っています。

「まずい。多い。少ない。熱い。ぬるい。脂っこい。味がない。またこれか。…。」そんな言葉は聞きたくないのです。





震災のとき、必死の思いで避難生活をすることになった私は、避難所で固い塩おにぎりをもらって食べていました。

配給を持ってきてくださる方から「つぎ、いつ貰えるか分かりませんよ」と言われながら受け取ると、二つのうち一つしか食べれませんでした。

そんな状況を乗り切って、学校再開へ向けて先生方が再集結し、子供たちが戻ってきました。



多くの問題はあったのですが、その一つが給食センターが機能しなくなり,「給食が準備できない。」ということでした。

学校再開にあたって,「給食は行いません。その代わりになるような食事を提供します。」という決定が下され,保護者に通知されました。

お昼になると,給食ではなく配給が行われました。



毎日,管理栄養士の先生が教員や子どもたちに笑顔で届けてくれました。

「一人,おにぎり2個とバナナと牛乳です。」

それにプラスされるものがときどきありました。

「今日は魚肉ソーセージが付いています。」

「今日は味噌汁が作れました。」

「今日は漬物があります。」

「今日はおにぎりにふりかけが付いてます。」

栄養バランスも見た目も,何もかもが不足した食事でした。

生徒たちはみんなで分け合って食べていました。

きっと,調理員や管理栄養士の先生がいちばん悔しかったにちがいありません。



そんな状況が2ヶ月ほど続いたある日,カレーが出ました。

あの日の子どもたちの喜びようと言ったらありません。先生方もみんな笑顔で食べていました。

(カレーが作れるくらいまで復旧したのだな)と思っていると,管理栄養士の先生が私に言いました。

「今まで,支援物資でじゃがいもやにんじんを少しずつもらっていたのだけど,生徒全員に提供できる量がなかったの。やっと全員にカレーをつくれるまで材料が集まったの。」

涙を浮かべているように見えました。

(ああ,この先生は本当に子どものことを思っている。)



わたしは辞令を受けて異動することになっており,このカレーが最後の配給となりました。

しかし,このような状況はまだしばらく続いたはずです。

今でもあの先生のことを思うと,給食をありがたく感じます。



給食に文句なんか言いません。

食べたくても食べられなかった生徒の我慢を知っています。

食べさせたくても食べさせられなかった先生の悔しさを知っています。

給食を食べられることは,有り難いことなのです。





(全国の皆さま,被災地にさまざまな支援物資を送っていただきありがとうございました。)
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