H29 春休み事前指導 生徒指導主事の話【原稿】 ― 2018/03/22
生徒指導主事の先生がお休みのため、明日は急きょ、在校生(中学1、2年生)向けに、春休みの事前指導を行うことになりました。
そんなわけで、放課後に原稿を書いたものを挙げておきます。このブログの人気コンテンツ、【原稿】シリーズです。(ご訪問、ありがとうございます。参考にしていただければ幸いです。)
前半で、「全体で3つ」と言っているのに、2つしか話を盛り込んでいないのは、最後の話は生徒代表の挨拶を聞いて、そこからアドリブで取り入れようと思っているからです。
それが難しい場合には、卒業式の話を1つ目としてカウントしてしまうといいかもしれませんね。
できれば原稿は見ずに、生徒の顔を見渡しながら、話を聞いてくれる生徒への感謝の気持ちをもって、身振り手振りを交えて、聞き取れるようにゆっくり話してみてください。
何はともあれ、明日で3学期が終了します。慌ただしい年度末事務に備えて、一息入れてください(休んでと言えるほどの暇はないですよね。。。)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
皆さん、こんにちは。まず、遅くなりましたが、皆さんにお礼を伝えます。
3年生のために素晴らしい卒業式の会場を準備してくれて、ありがとうございました。
式歌もずっと練習してくれて、本番では素晴らしい歌声を聴かせてくれて、ありがとうございました。
卒業式はとても感動的でしたね。見送りのときの3年生の笑顔が、3年生から皆さんへのメッセージだと思います。
みなさんも、卒業の日に、ああいう返事をして、ああいう笑顔で、巣立って行けるようになってください。
学校の教育目標、自立に向けて、頑張っていきましょう。
春休みの過ごし方について、全体で2つ確認しておきます。
まず1つめ。事故・怪我・トラブルの無いように過ごしましょう。
皆さんが、自分から悪いことをするとは思っていませんが、別の誰かから誘われること、たまたまその場に居合わせてしまって巻き込まれることを心配しています。
別の学校の話ですけど、野球部のピッチャーだった生徒が、昔の友達が集まっていると聞きつけて行ってみたら、他校生とケンカするために睨み合っていたということがありました。
危ない場所、危ない状況に近づかないように、気を付けましょう。
事故や怪我も同じです。特に自転車に乗るときは、学校じゃなくてもヘルメットをかぶりましょう。
市内の中学生全員の約束事になっています。傘をさしたり、スマホをいじったり、イヤホンで音楽を聞いたりしながら、自転車に乗ることのないようにしましょう。
不審者も出てくる季節です。防犯ブザーを持ち歩いて、万が一、何かあったら、すぐに警察と学校に知らせてください。
2つめ。先輩になる準備をしましょう。
2週間後には新しい1年生が入ってきます。だいじょうぶですか。
1年生は後輩ができて「先輩」と呼ばれるようになります。3年生は最上級生になって「受験生」と言われるようになります。準備できていますか。
勉強はもちろんです。
それに加えて、授業の受け方、休み時間の過ごし方、掃除の仕方、委員会の仕事、部活のこと、テスト勉強の仕方、勉強と部活動の両立の仕方、移動教室のときどうするか、制服からジャージに着替えるタイミング。
中学校には、いろいろありますよね。
後輩に質問されたら、何といって教えますか?教えられるだけのことをしていますか?
あなた方も1年生だったから分かるでしょう?後輩は先輩のことをよーく見てますよ。
先輩として見られたい、呼ばれたいのなら、それに見合った行動をしなくてはいけませんね。
宿題やってこない先輩のことを、誰が尊敬しますか?学校のルールを守らない先輩を、誰が尊敬しますか?
新2年生には2年生としての課題があります。新3年生には3年生としての課題があります。そのことで指導を受けるのは仕方ない。
でも、1年生のときにクリアすべき課題を、上級生になっても繰り返し指導されているのは、カッコよくはないよね。
この1年、先生方に言われたことをよーく思い出してください。
(3つめ。先ほどの生徒代表挨拶の中で、こんなキーワードが出ていました。)
以上、事故・怪我・トラブルの無いように。先輩になる準備をする。
よろしくお願いします。
2年生のみなさん、静かに話を聴いてくれてありがとう。3年生のみなさん、姿勢を正しくして聴いてくれてありがとう。
これなら、きっと立派な先輩になって始業式を迎えられると思います。
春休み、しっかりと成長してきてください。終わります。
トイレの使い方が分からない ― 2017/11/22
ときどき回ってくる日番の日です。校舎内を見回りして、戸締まり、コンセントなどを確認していきます。
残念ながら、男子トイレの個室が汚くなっているのを見つけました。しかも2つある個室のどちらもです。
トイレットペーパーが中途半端に使われ、床に置かれたり、ホルダーに載せられたりしています。包み紙もそのままです。
残念だと言うのは、前回の見回りのときも同じような状況だったということです。
つまり、あの時たまたま使い方が悪かったのではなく、それが複数いること。
そして他の生徒も気づいているのに直そうとしていないこと、あるいはそれが普通だと常態化していること、掃除もきちんとしていないこと、先生方の清掃指導も目が届いていないこと。
そういったことが分かったからです。自分の学年は使わないトイレなので、使用している生徒たちを呼ぶことにしました。
職員室に行くと学年の先生方がいらっしゃったので事情を話しました。なかなか分かってもらえなくて、現場を見てもらってようやく理解してもらえました。
さて、見つけたのが私なので、私から指導を入れます。
階段を下りていくとき思ったのは、「怒るのではなく勇気づけよう。分からないことは教えればいいんだ。」ということでした。
そんなわけで、集まった生徒に次のように話しました。
「」
5分前行動、10分前行動・・・正解は? ― 2017/05/26

分かりません…。
よく言われるのは「5分前行動」だと思いますが、場合によっては「10分前行動」ですよね。
修学旅行のときには「10分前行動」にしていましたが、ふだんの学校生活では「5分前行動」かな~と思います。
それが先日、学校で行われた健康診断のときのことです。
3年生は昼休みも委員会の仕事などで忙しいので「10分前には整列しようね。」と話しておきました。
そしたら、生徒達は15分前には整列していました。
本校の生徒はまじめなので、こういうときは保健室前に無言で並ぶのです。
内心、(いや~早すぎるよ。昼休みなんだからおしゃべりしてていいのに。)と思いました。
そしてこのことについて、他の先生が「えらいね~。」とほめていました。
つぎは中体連の壮行会です。
3年生を大人扱いするために、目的や集合時間、開始時間などが書かれた実施計画を3年生全員に配付して説明しました。
全員が壮行会の意義や予定を理解していました。
全員選手なので公式戦用ユニフォームに着替えます。生徒もテンションが上がります。
そして当日、集合10分前にある部の顧問の先生から「遅い!」と叱責が飛びました。
内心、(いやいや早すぎでしょ。まだ生徒会役員も準備終ってないのに。)と思いました。
そしてこのことについて、他の先生方は何もフォローしていませんでした。
この経験から生徒達は何を学びますか。
ふつう「5分前行動」というところを、
「10分前では遅くて、15分前が正解なんだ。」
「15分以上前に集まればもっと褒められるだろう。」
ということを学びます。
じゃあ次は20分前行動させたいんですか?
それが正解ですか?
結果だけを褒める。頭ごなしに叱る。どうなのかなと思います。
生徒の言い分も聞いてあげるべきではないでしょうか。
我々だって会議に遅れたときには言い訳を考えているじゃないですか。
生徒にも計画通りにやらせるべきではないでしょうか。
我々だってその計画に従って動いているのですから。
15分前で褒める先生、10分前で叱る先生、生徒はいったい何を基準に判断したらいいんでしょうか?
先生の顔色ですか?
だから、叱る必要も褒める必要もない。と思うんだけどな~。
だから「先生は甘い」って思われるんでしょうけどね。
よく言われるのは「5分前行動」だと思いますが、場合によっては「10分前行動」ですよね。
修学旅行のときには「10分前行動」にしていましたが、ふだんの学校生活では「5分前行動」かな~と思います。
それが先日、学校で行われた健康診断のときのことです。
3年生は昼休みも委員会の仕事などで忙しいので「10分前には整列しようね。」と話しておきました。
そしたら、生徒達は15分前には整列していました。
本校の生徒はまじめなので、こういうときは保健室前に無言で並ぶのです。
内心、(いや~早すぎるよ。昼休みなんだからおしゃべりしてていいのに。)と思いました。
そしてこのことについて、他の先生が「えらいね~。」とほめていました。
つぎは中体連の壮行会です。
3年生を大人扱いするために、目的や集合時間、開始時間などが書かれた実施計画を3年生全員に配付して説明しました。
全員が壮行会の意義や予定を理解していました。
全員選手なので公式戦用ユニフォームに着替えます。生徒もテンションが上がります。
そして当日、集合10分前にある部の顧問の先生から「遅い!」と叱責が飛びました。
内心、(いやいや早すぎでしょ。まだ生徒会役員も準備終ってないのに。)と思いました。
そしてこのことについて、他の先生方は何もフォローしていませんでした。
この経験から生徒達は何を学びますか。
ふつう「5分前行動」というところを、
「10分前では遅くて、15分前が正解なんだ。」
「15分以上前に集まればもっと褒められるだろう。」
ということを学びます。
じゃあ次は20分前行動させたいんですか?
それが正解ですか?
結果だけを褒める。頭ごなしに叱る。どうなのかなと思います。
生徒の言い分も聞いてあげるべきではないでしょうか。
我々だって会議に遅れたときには言い訳を考えているじゃないですか。
生徒にも計画通りにやらせるべきではないでしょうか。
我々だってその計画に従って動いているのですから。
15分前で褒める先生、10分前で叱る先生、生徒はいったい何を基準に判断したらいいんでしょうか?
先生の顔色ですか?
だから、叱る必要も褒める必要もない。と思うんだけどな~。
だから「先生は甘い」って思われるんでしょうけどね。
ほめない教育、しからない教育 ― 2017/05/15

今年は経験者研修Ⅱの年です。
教諭になって11年目となりました。
今日は校長先生と面談しました。
理科の授業について、話していく中で自分の課題が見えた気がしました。
一人で悶々と「自分の課題ってなんだ~」と考え込むよりも、
誰かと話してみるほうがはるかに有効だとあらためて思いました。
(忙しさにかまけてゼロ秒思考がストップしてしまっています。)
学級経営についても話したのですが、どうもうまく伝わりませんでした。
校長T>「学級で何か気を付けていることはありますか。」
わたし>「教室ではほめないようにしています。」
校長T>「それが良いときもあれば、悪いときもあるね。」
と、そのあと切々とほめることについて諭されました。
わたし>「生徒の変容を見つけようとしていないわけではありません。」
などと反論を試みましたが、うまく説明できません。
結局は、
校長T>「自分の思いをうまく伝えられないというのも、先生の課題ですね。」
と言われてしまいました。
ショボーン…。
私の解釈ですが、
アドラー心理学では、先生が生徒をほめることによって、ほめられる生徒群 vs ほめられない生徒群という対立構造を産まないようにしています。
そうすることで、ほめられる生徒の優越感を助長し、ほめられるために行動するという誤った動機づけを強化しないようにしています。
また、ほめられない生徒が、ほめられないから他の方法で注目を集めようという第2段階に悪化していくのを防いでいます。
その根源は「先生が生徒をほめる」ことにあるわけです。
では代わりに何をするのかといえば『勇気づけ』です。
「ほめる」代わりに『勇気づける』のです。
それは特別な何かをしたときに取り上げるのではなく、ふだんの細やかな行為に気付きを与えることだと思っています。
しかし、私はまだこの勇気づけについて、他の人に説明するだけの理解をしていません。
それこそ、言葉を持っていないのです。
先日は、生徒に「貢献感」について話をしました。生徒はまだ分かっていないかもしれません。
でも学級の中に、特権階級を目標に競争に駆り立てることはしたくありません。
私がアドラーを勉強していると言ったら、「いいですね」と言ってくれた先生もしました。
私がアドラーを理解すればするほど、生徒にも先生方にも分かってもらえるのかもしれません。
難しいですが、やっていくしかいないですよね。
誰も分かってくれなくても、自分から始めるしかないのです。
教諭になって11年目となりました。
今日は校長先生と面談しました。
理科の授業について、話していく中で自分の課題が見えた気がしました。
一人で悶々と「自分の課題ってなんだ~」と考え込むよりも、
誰かと話してみるほうがはるかに有効だとあらためて思いました。
(忙しさにかまけてゼロ秒思考がストップしてしまっています。)
学級経営についても話したのですが、どうもうまく伝わりませんでした。
校長T>「学級で何か気を付けていることはありますか。」
わたし>「教室ではほめないようにしています。」
校長T>「それが良いときもあれば、悪いときもあるね。」
と、そのあと切々とほめることについて諭されました。
わたし>「生徒の変容を見つけようとしていないわけではありません。」
などと反論を試みましたが、うまく説明できません。
結局は、
校長T>「自分の思いをうまく伝えられないというのも、先生の課題ですね。」
と言われてしまいました。
ショボーン…。
私の解釈ですが、
アドラー心理学では、先生が生徒をほめることによって、ほめられる生徒群 vs ほめられない生徒群という対立構造を産まないようにしています。
そうすることで、ほめられる生徒の優越感を助長し、ほめられるために行動するという誤った動機づけを強化しないようにしています。
また、ほめられない生徒が、ほめられないから他の方法で注目を集めようという第2段階に悪化していくのを防いでいます。
その根源は「先生が生徒をほめる」ことにあるわけです。
では代わりに何をするのかといえば『勇気づけ』です。
「ほめる」代わりに『勇気づける』のです。
それは特別な何かをしたときに取り上げるのではなく、ふだんの細やかな行為に気付きを与えることだと思っています。
しかし、私はまだこの勇気づけについて、他の人に説明するだけの理解をしていません。
それこそ、言葉を持っていないのです。
先日は、生徒に「貢献感」について話をしました。生徒はまだ分かっていないかもしれません。
でも学級の中に、特権階級を目標に競争に駆り立てることはしたくありません。
私がアドラーを勉強していると言ったら、「いいですね」と言ってくれた先生もしました。
私がアドラーを理解すればするほど、生徒にも先生方にも分かってもらえるのかもしれません。
難しいですが、やっていくしかいないですよね。
誰も分かってくれなくても、自分から始めるしかないのです。
始業式で体育館のどこに立つか。 ― 2016/08/25

多くの学校で始業式が行われ,二学期がスタートしたことと思います。
さて問題です。
先生方は始業式のときにどこにいましたか?
私は自分の学年の列の後ろに立っていました。
そして生徒の頭の動きを見ていました。
いつ生徒が気を失っても即座に対応するためです。
倒れそうな瞬間キャッチできれば頭を打たずに済みます。
倒れても養護教諭をすぐに呼ぶこともできます。
具合が悪くなってしゃがんだ生徒に声を掛けることもできます。
もちろん学校によって出来ることと出来ないことがあります。
・「先生方はきちんと座っているように」と指示されている。
・学年ごとに先生が立つ位置が決まっている。
・(威圧感となるため)生徒の後ろに立たないよう指示されている。
などですかね。
もちろん,話が長くなるときは予め座るように計画したり,
気持ち悪くなったら早めにその場に座ったり,
列を抜けて先生のところに来るように指示したりしていると思います。
生徒数が多いと見きれないこと,対応が遅れることもあると思いますが,
学年や学校の方針として,先生方はどのへんに居るとよいのか
雑談の中ででも確認し合っておくと,万が一の事故を減らせると思います。
2学期が始まってしまいました。また,がんばっていきましょう。
さて問題です。
先生方は始業式のときにどこにいましたか?
私は自分の学年の列の後ろに立っていました。
そして生徒の頭の動きを見ていました。
いつ生徒が気を失っても即座に対応するためです。
倒れそうな瞬間キャッチできれば頭を打たずに済みます。
倒れても養護教諭をすぐに呼ぶこともできます。
具合が悪くなってしゃがんだ生徒に声を掛けることもできます。
もちろん学校によって出来ることと出来ないことがあります。
・「先生方はきちんと座っているように」と指示されている。
・学年ごとに先生が立つ位置が決まっている。
・(威圧感となるため)生徒の後ろに立たないよう指示されている。
などですかね。
もちろん,話が長くなるときは予め座るように計画したり,
気持ち悪くなったら早めにその場に座ったり,
列を抜けて先生のところに来るように指示したりしていると思います。
生徒数が多いと見きれないこと,対応が遅れることもあると思いますが,
学年や学校の方針として,先生方はどのへんに居るとよいのか
雑談の中ででも確認し合っておくと,万が一の事故を減らせると思います。
2学期が始まってしまいました。また,がんばっていきましょう。
【原稿】春休み前,生徒指導の先生の話 ― 2015/03/23

いよいよ春休みですね。1年間お疲れ様でした。
まぁ,春休みは年度の切り替えで休んでいる暇はないと思いますが,いい意味で充電して,新年度へ向けて頑張りましょう。
修了式のあとに話した,生徒指導主事としての話を挙げておきます。
実際には,式中に原稿をメモしたものを元に,後から書き起こしました。
春休み前に,生徒指導として最後の話をします。3つ,聞いてください。
1つ目は,いつも言っている「事故,怪我,事件,トラブル」についてです。
今までも繰り返し言ってきましたし,校長先生もおっしゃいました。決してないように気を付けてください。少し具体的に言います。
出掛ける時に気を付けることは2つ。分かりますか?
1つはヘルメット。もう一つは・・・?防犯ブザー。
街に出かける時,部活や塾のときも,いつでもヘルメットをかぶります。市内の中学校全部で行っていることです。
かぶっていない人がいたらその人がおかしいんです。
防犯ブザーも必ず持ち歩いてください。
スマホ・ケータイについてはどうですか?
いろいろな事件,トラブルのもとになっていますね。あなた方が何かをしでかすというよりも,トラブルに巻き込まれてしまうことを,先生たちは本当に心配しています。
教育委員会としては,そもそも持たないことになっています。持っているのはすでにルールを破っているんです。いいですか,そこを自覚してください。
だから買わない。
でも,買ったのはあなた方ではないですね。親です。
ですから,必ず親の言うことを聴くこと。ルールを作って守ること。使う時間や料金,そういうのを決めて必ず守る。
2つ目は,上級生になる自覚ができているか,です。
1年生は新2年生になります。初めて「先輩」と呼ばれるようになりますね。
2年生は新3年生になります。最上級生です。うちの学校の顔です。その自覚ができていますか。少し具体的にしましょうね。
言葉づかい,どうですか?先生に対して,友達に対して,後輩に対して,適切な言葉で話していますか。職員室の出入り。あいさつ。目を見て挨拶するって一年間やってきましたよね。
休み時間の過ごし方,掃除のやり方,部活の進め方,委員会の仕事,教えてあげられますか。1年生は見ていますよ。真似しますよ。大丈夫ですか?
勉強はどうですか?自分の勉強の仕方で大丈夫ですか?1年生に「勉強の仕方教えてください」って言われたらアドバイスできますか?「テスト勉強ってどうやるんですか?」って言われたら,何て教えますか?
まず,自分でしっかりできていなかったら,1年生に教えることはできませんね。人に教えられるくらい,しっかりしないといけませんね。
3つ目です。うちの学校の教育目標は何でしょうか?黒板の上に掲げられていますね?覚えていますか?
・・・みんなで言ってみましょう。せーのっ
・・・そうですね。「自立」です。
よくこういうことを言います。「中学生らしく。」「○○中生らしく。」
中学生らしくって何ですか?何をもってしてそういっているんですか?
去年の生徒会総会で,「シューズは何色がいいんですか?」という質問がありました。生活委員会の委員長が「白を基調として,運動しやすい靴です。それが中学生らしいからです。」と答えました。
それがどうして中学生らしいんですか?どうして白なの?どうして黒じゃダメなの?ピンクじゃダメなの?
考えてください。どんな髪型がいいのか?どんな靴下がいいのか?どんなTシャツがいいのか?どんな制服の着こなしがいいのか?
自分で考えて,どうすべきか,どうあるべきか,判断してください。
うちの学校には,校則というものがありません。生活の指針を書いた「○○中生として」というプリントが一枚あるだけです。
前髪の長さは何cmとか,シューズの色は何色,だなんていう校則はありません。どうしてですか?
あなた方なら判断できる,と先生たちは思っているんです。事細かにルールを決めなくたって,自分で考えられる。判断できる。
今までの先輩たちはずっとそうしてきました。できていました。君たちにもできる。先生たちはそう思っています。
さきほどの○○君の発表に「やるべきことはやった。でもやりきったとは言えない。」という言葉がありました。
○○さんの反省には「口だけにせず,行動したい。」という言葉がありました。
自分で考えて,自分で判断して,自分で行動する。それが「自立」ということです。
中学生らしいとは何か。○○中生らしいとは何か。
自分たちで考えて,話し合ってほしい。そういうことを考えて,4月からスタートするための準備期間として,春休みを過ごしてください。
これで話を終わります。4月に元気よく会いましょう。
まぁ,春休みは年度の切り替えで休んでいる暇はないと思いますが,いい意味で充電して,新年度へ向けて頑張りましょう。
修了式のあとに話した,生徒指導主事としての話を挙げておきます。
実際には,式中に原稿をメモしたものを元に,後から書き起こしました。
春休み前に,生徒指導として最後の話をします。3つ,聞いてください。
1つ目は,いつも言っている「事故,怪我,事件,トラブル」についてです。
今までも繰り返し言ってきましたし,校長先生もおっしゃいました。決してないように気を付けてください。少し具体的に言います。
出掛ける時に気を付けることは2つ。分かりますか?
1つはヘルメット。もう一つは・・・?防犯ブザー。
街に出かける時,部活や塾のときも,いつでもヘルメットをかぶります。市内の中学校全部で行っていることです。
かぶっていない人がいたらその人がおかしいんです。
防犯ブザーも必ず持ち歩いてください。
スマホ・ケータイについてはどうですか?
いろいろな事件,トラブルのもとになっていますね。あなた方が何かをしでかすというよりも,トラブルに巻き込まれてしまうことを,先生たちは本当に心配しています。
教育委員会としては,そもそも持たないことになっています。持っているのはすでにルールを破っているんです。いいですか,そこを自覚してください。
だから買わない。
でも,買ったのはあなた方ではないですね。親です。
ですから,必ず親の言うことを聴くこと。ルールを作って守ること。使う時間や料金,そういうのを決めて必ず守る。
2つ目は,上級生になる自覚ができているか,です。
1年生は新2年生になります。初めて「先輩」と呼ばれるようになりますね。
2年生は新3年生になります。最上級生です。うちの学校の顔です。その自覚ができていますか。少し具体的にしましょうね。
言葉づかい,どうですか?先生に対して,友達に対して,後輩に対して,適切な言葉で話していますか。職員室の出入り。あいさつ。目を見て挨拶するって一年間やってきましたよね。
休み時間の過ごし方,掃除のやり方,部活の進め方,委員会の仕事,教えてあげられますか。1年生は見ていますよ。真似しますよ。大丈夫ですか?
勉強はどうですか?自分の勉強の仕方で大丈夫ですか?1年生に「勉強の仕方教えてください」って言われたらアドバイスできますか?「テスト勉強ってどうやるんですか?」って言われたら,何て教えますか?
まず,自分でしっかりできていなかったら,1年生に教えることはできませんね。人に教えられるくらい,しっかりしないといけませんね。
3つ目です。うちの学校の教育目標は何でしょうか?黒板の上に掲げられていますね?覚えていますか?
・・・みんなで言ってみましょう。せーのっ
・・・そうですね。「自立」です。
よくこういうことを言います。「中学生らしく。」「○○中生らしく。」
中学生らしくって何ですか?何をもってしてそういっているんですか?
去年の生徒会総会で,「シューズは何色がいいんですか?」という質問がありました。生活委員会の委員長が「白を基調として,運動しやすい靴です。それが中学生らしいからです。」と答えました。
それがどうして中学生らしいんですか?どうして白なの?どうして黒じゃダメなの?ピンクじゃダメなの?
考えてください。どんな髪型がいいのか?どんな靴下がいいのか?どんなTシャツがいいのか?どんな制服の着こなしがいいのか?
自分で考えて,どうすべきか,どうあるべきか,判断してください。
うちの学校には,校則というものがありません。生活の指針を書いた「○○中生として」というプリントが一枚あるだけです。
前髪の長さは何cmとか,シューズの色は何色,だなんていう校則はありません。どうしてですか?
あなた方なら判断できる,と先生たちは思っているんです。事細かにルールを決めなくたって,自分で考えられる。判断できる。
今までの先輩たちはずっとそうしてきました。できていました。君たちにもできる。先生たちはそう思っています。
さきほどの○○君の発表に「やるべきことはやった。でもやりきったとは言えない。」という言葉がありました。
○○さんの反省には「口だけにせず,行動したい。」という言葉がありました。
自分で考えて,自分で判断して,自分で行動する。それが「自立」ということです。
中学生らしいとは何か。○○中生らしいとは何か。
自分たちで考えて,話し合ってほしい。そういうことを考えて,4月からスタートするための準備期間として,春休みを過ごしてください。
これで話を終わります。4月に元気よく会いましょう。
教育講演会「ほめる達人」 ― 2014/12/07

ほめ達検定というのがあるそうです。
http://www.hometatsu.jp/
私自身、正直ほめるのが得意ではありません。
相手の良いところを見つける努力が足りないのもあります。
ほめるところが見つかっても、すぐにパッと最適な言葉が出てこなかったりもします。
そんなわけで、嫁ちゃんから紹介された「ほめ日記」にヒントを得て、手帳のなかでまずは自分をほめることにしました。
http://homediary.net/
しかし、忙しさにかまけて、手帳を見返す暇がなかなか作れないでいました。
こんなことではいけないなーと思っていたところで、今回の講演会を聴きました。
講演のなかで、実際にほめ言葉を書くときがありました。
3分間で21個しかでませんでした。会場のなかで5位くらいでした。悔しいです。
手帳の後ろには「ほめ言葉リスト」とか「リフレーミング例」なんて入れているのに、いざとなると出てこないものですね。
別会場では5分間で80個を越えた人がいたそうです。すごいです。
やはり褒めることができる人間になりたいですね。
そして、褒めたら喜んでもらえる人間になりたいですね。
(「あなたに褒められなくても嬉しくない」なんてイヤです。)
講演のなかで、面白かったのは「ほめ達の3S+1」です。
まずは「すごい!さすが!すばらしい!」のS3つ。+1は「おしい!」だそうです。
褒めてから「おしい」と言うことで、相手にアドバイスを聞きたいと思わせることができるとのこと。確かにそうですね。
なるほどと思ったのは、先程挙げたほめ言葉の中から、今後も言われたい言葉=これからの人生で使っていきたいほめ言葉を、3つ選ぶというものです。
そうやって選んだその言葉は意識化されることで、そういうなりたい自分になっていく、ということです。
また、子供にそうなってほしいというほめ言葉を使うことで、しだいにそうなっていく、ということです。
(「やさしいね!」と褒められたら、次もやさしい行動をしようとする。)
講演会のことをさっそくブログのネタにしました。
私って「すごい、さすが、すばらしい!」
手帳ではまだほめ日記が再開していません。
「んー、おしい!」
http://www.hometatsu.jp/
私自身、正直ほめるのが得意ではありません。
相手の良いところを見つける努力が足りないのもあります。
ほめるところが見つかっても、すぐにパッと最適な言葉が出てこなかったりもします。
そんなわけで、嫁ちゃんから紹介された「ほめ日記」にヒントを得て、手帳のなかでまずは自分をほめることにしました。
http://homediary.net/
しかし、忙しさにかまけて、手帳を見返す暇がなかなか作れないでいました。
こんなことではいけないなーと思っていたところで、今回の講演会を聴きました。
講演のなかで、実際にほめ言葉を書くときがありました。
3分間で21個しかでませんでした。会場のなかで5位くらいでした。悔しいです。
手帳の後ろには「ほめ言葉リスト」とか「リフレーミング例」なんて入れているのに、いざとなると出てこないものですね。
別会場では5分間で80個を越えた人がいたそうです。すごいです。
やはり褒めることができる人間になりたいですね。
そして、褒めたら喜んでもらえる人間になりたいですね。
(「あなたに褒められなくても嬉しくない」なんてイヤです。)
講演のなかで、面白かったのは「ほめ達の3S+1」です。
まずは「すごい!さすが!すばらしい!」のS3つ。+1は「おしい!」だそうです。
褒めてから「おしい」と言うことで、相手にアドバイスを聞きたいと思わせることができるとのこと。確かにそうですね。
なるほどと思ったのは、先程挙げたほめ言葉の中から、今後も言われたい言葉=これからの人生で使っていきたいほめ言葉を、3つ選ぶというものです。
そうやって選んだその言葉は意識化されることで、そういうなりたい自分になっていく、ということです。
また、子供にそうなってほしいというほめ言葉を使うことで、しだいにそうなっていく、ということです。
(「やさしいね!」と褒められたら、次もやさしい行動をしようとする。)
講演会のことをさっそくブログのネタにしました。
私って「すごい、さすが、すばらしい!」
手帳ではまだほめ日記が再開していません。
「んー、おしい!」
カンニングなのか内的対話なのか? ― 2014/11/18

定期テストのあと,テスト監督に行っていただいた先生から,
「○○の視線が怪しかった。ずっと横のほうを見ていた。」
という報告を受けました。
さて,当然カンニングが疑われるわけですが,いきなり指導したりはしません。
念のため,「テストどうだった?」という風に切り出して,生徒の反応を見ます。
やってしまった生徒であれば,明らかに反応が違います。やっていない生徒であれば,素直に話し出します。
「勉強してきたところはできたんですけど,やってないところはダメでした。えへへ。」なんていう風にです。
大抵は,どうして(自分だけそんなこと聞かれるんだろう?)という顔をしながら答えます。
そこで,「いや,実はな,テスト監督に行かれた先生から,こういう話が出ているんだ。」と切り出して,事情を説明します。
「どうだ?心当たりはあるかな?カンニングをしたと言っているのではなくて,そう疑われることをしてないかな?」と聞くと,
「ああ,もしかしたら・・・」と認めました。
自分の動き(視線)は,カンニングと思われる可能性があることを認めたわけです。
それから改めて,「疑わしきは罰せずだから,カンニングをしたとは言えないが,やはりそういう誤解を受けないように気を付けないといけない。」という指導を行います。
もちろん,本当にやったとなれば厳しい指導と処分が待っていることも伝えます。
さらにもう一つ,私が話すことがあります。
人は,過去のことを記憶を思い出したり,内的対話を行うとき,左の方を見るという傾向があります。
NLPの「アイ・アクセシング・キュー」という考え方です。
もう少し詳しく言うと,
視線を左側に動かすときは,過去の記憶を思い出していて,
視線を右側に動かすときは,未来の想像を作り出している。
と,考えられています。
さらに,視覚優位,聴覚優位,体感覚優位という優位感覚を当てはめると,
視線を左上に動かす。 = 記憶された映像を思い出している。
視線を右上に動かす。 = 想像された映像を作り出している。
視線を左横に動かす。 = 記憶された音や声を思い出している。
視線を右横に動かす。 = 想像された音や声を作り出している。
視線を左下に動かす。 = 内的対話や,実体験を思い出している。
視線を右下に動かす。 = 想像できる触覚や体感を作り出している。
と考えることができます。
簡単に行ってしまえば,左を見ながら話すことは,過去のことを思い出して話している。右を見ているときはウソをついている,ということです。
もちろん,全員にぴったり当てはまるわけではありません。そういう傾向があるというだけです。
また,ここでの右・左は本人にとっての向きです。観察者からは左右が逆になりますから気を付けないといけません。
というわけで,このことを踏まえて,
「勉強したことを思い出そうとすると,つい左の方を見てしまうから,カンニングを疑われないように気を付けようね。」
「答案用紙をじっと見ながら視線を左にしようとすると,顔が右を向いてしまうから,誤解されないように気を付けようね。」
というアドバイスをします。
今回は,その生徒は思い当たる節があるようでした。「ああ~。」と納得していました。
「○○の視線が怪しかった。ずっと横のほうを見ていた。」
という報告を受けました。
さて,当然カンニングが疑われるわけですが,いきなり指導したりはしません。
念のため,「テストどうだった?」という風に切り出して,生徒の反応を見ます。
やってしまった生徒であれば,明らかに反応が違います。やっていない生徒であれば,素直に話し出します。
「勉強してきたところはできたんですけど,やってないところはダメでした。えへへ。」なんていう風にです。
大抵は,どうして(自分だけそんなこと聞かれるんだろう?)という顔をしながら答えます。
そこで,「いや,実はな,テスト監督に行かれた先生から,こういう話が出ているんだ。」と切り出して,事情を説明します。
「どうだ?心当たりはあるかな?カンニングをしたと言っているのではなくて,そう疑われることをしてないかな?」と聞くと,
「ああ,もしかしたら・・・」と認めました。
自分の動き(視線)は,カンニングと思われる可能性があることを認めたわけです。
それから改めて,「疑わしきは罰せずだから,カンニングをしたとは言えないが,やはりそういう誤解を受けないように気を付けないといけない。」という指導を行います。
もちろん,本当にやったとなれば厳しい指導と処分が待っていることも伝えます。
さらにもう一つ,私が話すことがあります。
人は,過去のことを記憶を思い出したり,内的対話を行うとき,左の方を見るという傾向があります。
NLPの「アイ・アクセシング・キュー」という考え方です。
もう少し詳しく言うと,
視線を左側に動かすときは,過去の記憶を思い出していて,
視線を右側に動かすときは,未来の想像を作り出している。
と,考えられています。
さらに,視覚優位,聴覚優位,体感覚優位という優位感覚を当てはめると,
視線を左上に動かす。 = 記憶された映像を思い出している。
視線を右上に動かす。 = 想像された映像を作り出している。
視線を左横に動かす。 = 記憶された音や声を思い出している。
視線を右横に動かす。 = 想像された音や声を作り出している。
視線を左下に動かす。 = 内的対話や,実体験を思い出している。
視線を右下に動かす。 = 想像できる触覚や体感を作り出している。
と考えることができます。
簡単に行ってしまえば,左を見ながら話すことは,過去のことを思い出して話している。右を見ているときはウソをついている,ということです。
もちろん,全員にぴったり当てはまるわけではありません。そういう傾向があるというだけです。
また,ここでの右・左は本人にとっての向きです。観察者からは左右が逆になりますから気を付けないといけません。
というわけで,このことを踏まえて,
「勉強したことを思い出そうとすると,つい左の方を見てしまうから,カンニングを疑われないように気を付けようね。」
「答案用紙をじっと見ながら視線を左にしようとすると,顔が右を向いてしまうから,誤解されないように気を付けようね。」
というアドバイスをします。
今回は,その生徒は思い当たる節があるようでした。「ああ~。」と納得していました。
黒板消し忘れたら日直やり直し? ― 2014/10/16

理科室で授業した後,生徒がぞろぞろと理科室を出ていくとき,生徒が次のような会話をするときがあります。
Aさん「あー,○○くんが黒板消してな~い。」
Bさん「あ,ほんとだー。日直やりなおしだね~。」
とか,
Cくん「あ,○○さんが黒板消し忘れてるぞ。」
Dくん「連続○日,やり直しじゃん。あははは」
とか,
Eくん「また○○くんが黒板消してなーい。」
Fくん「いいよ,いいよ。言わないでおこう。日直やりなおしだもん。」
とかです。日直の生徒が仕事を忘れて出て行ってしまったのです。
日直の仕事として,黒板を消すというのはよくあるシステムですね。
また,黒板を消し忘れてしまうと日直をやり直しになるというルールですね。
慌てて戻ってくる生徒もいれば,すっかり忘れてしまって次の授業に行く子もいます。
代わりに消してくれればいいのですが,指摘した生徒たちも行ってしまうことがあり,残された私は「・・・。」です。
「代わりに消してくれないかな?」とお願いできることもあれば,次が給食や体育だったりすると,「いいよいいよ,早く行きなさい。」と見送ることもあります。
で,話題にしたいのは,この「日直が黒板を消し忘れたら,罰としてもう一日やり直しになる。」ことです。
私が知っている先生の多くが,このルールを使っています。
当番としての責任感を持たせるためなのだと理解しています。だから,「どうしてですか?」と聞いたことはありません。
以下は私の勝手な考え(学級経営方針)です。
うちのクラスでは,このルールを使っていません。
4月当初(黄金の3日間)に,
「日直の仕事を忘れているのに気付いたら,教えてあげるか,代わりにやってあげること。」
というルールを設定しているからです。
そのため,慌てて戻ってきた生徒からは,
「ごめーん,代わりに消してくれたの?ありがとー。」
「わりー,うっかりしてたー。助かった~。」
という言葉が出ます。
代わりに消した生徒は,
「あー,やっといたよ。だいじょぶ,だいじょぶ。」
「いいのいいの,このあいだやってもらったからさ。」
と返しています。
学級日誌には,
『日直の仕事を忘れてしまったが,声をかけて教えてくれた友達がいた。』
『友達が日直の仕事を手伝ってくれた。ありがたかった。次は忘れない。』
などの感想が書かれたりします。
ほかのクラスだと,慌てて戻ってきた生徒が,代わりに黒板を消してくれた友達に向かって,
「あー,消しちゃったの?なんでだよー,日直やり直しになったじゃないかー。」
あげくの果てには,
「あー,消された。もういいや,やんない。どうせもう一日やり直しなんだから。」
なんて言葉も出てきます。
私は教室で,「友達が困っていたら助けるのが当たり前だよね?」と話しています。
「困っていたら助けるし,忘れていたら声をかけて教えてあげる。クラスメイトとして,当たり前じゃない?」
「友達が失敗しそうになっているのを,黙ってシメシメって見てるの?そんなのおかしくないか?」
「クラスとして,みんなで日直に協力しないんだったら,先生はそのときは怒るよ。」
というような話をしています。
「もちろん,誰かがやってくれるからいいや。なんていうのはもっと怒るけどね。」
と,念のためには言っておきます。
私は「連帯責任」というのは好きではないのですが,このルールはある意味では連帯責任ですね。
ただ,「誰かが失敗したら,全員で責任を取る」のではなく,
「誰かに失敗させたら,全員で責任を取る」という連帯です。
そのほうが,クラスとしてまとまろうとするのではないかと考えています。
そしてだからこそ,自分の仕事は自分で責任をもってやろうと思うのではないか。
一度失敗したからといって投げ出したりせずに,なんとか挽回しようと頑張るのではないか。
「友達のために」「友達のおかげで」という考えになるのではないか,と考えています。
誰かに話すと,「先生は甘いんだよ。」と怒られそうですか。
自分としては,あくまでも,学級経営に対する考え方の違いだと思っています。
担任として,悩みに悩んで,考えに考えて,学級経営しているんですけどね。どうなのかなー。
Aさん「あー,○○くんが黒板消してな~い。」
Bさん「あ,ほんとだー。日直やりなおしだね~。」
とか,
Cくん「あ,○○さんが黒板消し忘れてるぞ。」
Dくん「連続○日,やり直しじゃん。あははは」
とか,
Eくん「また○○くんが黒板消してなーい。」
Fくん「いいよ,いいよ。言わないでおこう。日直やりなおしだもん。」
とかです。日直の生徒が仕事を忘れて出て行ってしまったのです。
日直の仕事として,黒板を消すというのはよくあるシステムですね。
また,黒板を消し忘れてしまうと日直をやり直しになるというルールですね。
慌てて戻ってくる生徒もいれば,すっかり忘れてしまって次の授業に行く子もいます。
代わりに消してくれればいいのですが,指摘した生徒たちも行ってしまうことがあり,残された私は「・・・。」です。
「代わりに消してくれないかな?」とお願いできることもあれば,次が給食や体育だったりすると,「いいよいいよ,早く行きなさい。」と見送ることもあります。
で,話題にしたいのは,この「日直が黒板を消し忘れたら,罰としてもう一日やり直しになる。」ことです。
私が知っている先生の多くが,このルールを使っています。
当番としての責任感を持たせるためなのだと理解しています。だから,「どうしてですか?」と聞いたことはありません。
以下は私の勝手な考え(学級経営方針)です。
うちのクラスでは,このルールを使っていません。
4月当初(黄金の3日間)に,
「日直の仕事を忘れているのに気付いたら,教えてあげるか,代わりにやってあげること。」
というルールを設定しているからです。
そのため,慌てて戻ってきた生徒からは,
「ごめーん,代わりに消してくれたの?ありがとー。」
「わりー,うっかりしてたー。助かった~。」
という言葉が出ます。
代わりに消した生徒は,
「あー,やっといたよ。だいじょぶ,だいじょぶ。」
「いいのいいの,このあいだやってもらったからさ。」
と返しています。
学級日誌には,
『日直の仕事を忘れてしまったが,声をかけて教えてくれた友達がいた。』
『友達が日直の仕事を手伝ってくれた。ありがたかった。次は忘れない。』
などの感想が書かれたりします。
ほかのクラスだと,慌てて戻ってきた生徒が,代わりに黒板を消してくれた友達に向かって,
「あー,消しちゃったの?なんでだよー,日直やり直しになったじゃないかー。」
あげくの果てには,
「あー,消された。もういいや,やんない。どうせもう一日やり直しなんだから。」
なんて言葉も出てきます。
私は教室で,「友達が困っていたら助けるのが当たり前だよね?」と話しています。
「困っていたら助けるし,忘れていたら声をかけて教えてあげる。クラスメイトとして,当たり前じゃない?」
「友達が失敗しそうになっているのを,黙ってシメシメって見てるの?そんなのおかしくないか?」
「クラスとして,みんなで日直に協力しないんだったら,先生はそのときは怒るよ。」
というような話をしています。
「もちろん,誰かがやってくれるからいいや。なんていうのはもっと怒るけどね。」
と,念のためには言っておきます。
私は「連帯責任」というのは好きではないのですが,このルールはある意味では連帯責任ですね。
ただ,「誰かが失敗したら,全員で責任を取る」のではなく,
「誰かに失敗させたら,全員で責任を取る」という連帯です。
そのほうが,クラスとしてまとまろうとするのではないかと考えています。
そしてだからこそ,自分の仕事は自分で責任をもってやろうと思うのではないか。
一度失敗したからといって投げ出したりせずに,なんとか挽回しようと頑張るのではないか。
「友達のために」「友達のおかげで」という考えになるのではないか,と考えています。
誰かに話すと,「先生は甘いんだよ。」と怒られそうですか。
自分としては,あくまでも,学級経営に対する考え方の違いだと思っています。
担任として,悩みに悩んで,考えに考えて,学級経営しているんですけどね。どうなのかなー。
イラストを描いてくる生徒 ― 2014/09/22

生徒は毎日,「家庭学習ノート」と「生活の記録」を提出することになっています。
「生活の記録」とは,次の日の授業の準備物や,その日の日記をちょこっと書くスペースがあるような冊子です。うちの学校は既製品を採用しています。
今日はこの「生活の記録」にイラストを描いてくることについてです。
今まで受け持った生徒に何人か,いろいろなイラストを描いてくる生徒がいました。
思い返してみると,やはり女子生徒ばかりでした。
そのとき流行っているキャラクターや,少女漫画チックなイラストを描いているパターンもありました。
私自身は,それを「許可」していました。
生徒の中には,言葉では表現できなくてイラストにしたほうが心を表現できる生徒もいると思ったからです。
生徒の日記にはコメントをつけるようにしていますが,イラストから生徒の心情を読み取ってコメントしていました。
あまり具体的なことは書けませんが,かつてキャラクターものを描いてくる生徒がいました。
私もそのキャラの可愛らしさから,コメント代わりにイラストを描いて返していたこともありました。
そんな絵日記のようなノートの交換が続いてくると,1コマ漫画でキャラクターがしゃべりだしたり,キャラクターに家族が増えていったりもしました。
しかしあるとき,そのキャラが大ケガをしていました。
お母さんキャラが娘キャラに攻撃されてケガをしています。
どうしたことか?と考え込みました。
そして思い出しました。
その子の家では,年の離れた赤ちゃんが生まれたばかりでした。
「もしかしたら,お母さんがその赤ちゃんにかかりっきりになってしまって,相手してもらえなくて寂しいんだな。」と勝手に考えました。
外れていた場合のリスクも考えましたが,自分の直感を信じて次のようにコメントしました。(記憶があいまいです。)
『お母さん,赤ちゃんが生まれて毎日大変だろうね。お姉ちゃんになったんだから,お母さんと一緒にがんばろうね。』
その子は精神的にも生活面でも,不思議なほどに安定しました。
これも勝手な想像ですが,たぶん,生徒の言葉にならない気持ちをイラストから読み取って,その子にとっての,適切なコメントができたからだと思っています。
そして,そのキャラものの日記も,まもなくして消えていきました。ブームが去ったからなのか,その子の気持ちが離れたからなのか分かりませんが,それはそれで構わないと思いました。
日記にイラストを描いてくる生徒がいたら,私はそのイラウトを見守るようにしています。
申し訳ないけれど,現場は忙しい。生徒一人ひとり,毎日全員に声をかけたり,直接的に心情を読み取るような時間は確保できません。
だからこそ,生徒からのこうした言葉にならないものを大事にしようと思っています。(まだまだできていないことは沢山ありますが。)
「生活の記録」とは,次の日の授業の準備物や,その日の日記をちょこっと書くスペースがあるような冊子です。うちの学校は既製品を採用しています。
今日はこの「生活の記録」にイラストを描いてくることについてです。
今まで受け持った生徒に何人か,いろいろなイラストを描いてくる生徒がいました。
思い返してみると,やはり女子生徒ばかりでした。
そのとき流行っているキャラクターや,少女漫画チックなイラストを描いているパターンもありました。
私自身は,それを「許可」していました。
生徒の中には,言葉では表現できなくてイラストにしたほうが心を表現できる生徒もいると思ったからです。
生徒の日記にはコメントをつけるようにしていますが,イラストから生徒の心情を読み取ってコメントしていました。
あまり具体的なことは書けませんが,かつてキャラクターものを描いてくる生徒がいました。
私もそのキャラの可愛らしさから,コメント代わりにイラストを描いて返していたこともありました。
そんな絵日記のようなノートの交換が続いてくると,1コマ漫画でキャラクターがしゃべりだしたり,キャラクターに家族が増えていったりもしました。
しかしあるとき,そのキャラが大ケガをしていました。
お母さんキャラが娘キャラに攻撃されてケガをしています。
どうしたことか?と考え込みました。
そして思い出しました。
その子の家では,年の離れた赤ちゃんが生まれたばかりでした。
「もしかしたら,お母さんがその赤ちゃんにかかりっきりになってしまって,相手してもらえなくて寂しいんだな。」と勝手に考えました。
外れていた場合のリスクも考えましたが,自分の直感を信じて次のようにコメントしました。(記憶があいまいです。)
『お母さん,赤ちゃんが生まれて毎日大変だろうね。お姉ちゃんになったんだから,お母さんと一緒にがんばろうね。』
その子は精神的にも生活面でも,不思議なほどに安定しました。
これも勝手な想像ですが,たぶん,生徒の言葉にならない気持ちをイラストから読み取って,その子にとっての,適切なコメントができたからだと思っています。
そして,そのキャラものの日記も,まもなくして消えていきました。ブームが去ったからなのか,その子の気持ちが離れたからなのか分かりませんが,それはそれで構わないと思いました。
日記にイラストを描いてくる生徒がいたら,私はそのイラウトを見守るようにしています。
申し訳ないけれど,現場は忙しい。生徒一人ひとり,毎日全員に声をかけたり,直接的に心情を読み取るような時間は確保できません。
だからこそ,生徒からのこうした言葉にならないものを大事にしようと思っています。(まだまだできていないことは沢山ありますが。)
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