『傾聴』によって実は生徒に癒されていた2016/03/12

5年目にしてまた様々なテレビの特集番組が放送されています。

今回初めて知ったのですが,「サバイバー・ギルト」という言葉があるそうです。

つ【サバイバー・ギルト】
震災や事故などの被害に遭い、命が助かった幸運によって罪悪感にさいなまれること。PTSDの一種である。



自分はPTSDだとは思っていましたが,もうちょっとはっきりとした名前が付きました。

自分にラベルが貼られることは安心です。嫌がる人もいますけど,自分が何者か分からない恐怖よりかはマシです。

で,そんな症状への治療法として挙げられているのが,カウンセリングであり,最も基本的な手法である『傾聴』だそうです。



私は昔,カウンセリングをけっこう勉強しましたし,カウンセリングを受けたこともあります。傾聴の重要性も分かります。

しかし,今回の体験をカウンセラーには話していません。カウンセリングは薬ではありません。治るとは限らないのです。

そして,先ほど書きました。治ってしまったら自分が何者なのか,ラベルを一つ剥がされるのです。それは不安なことです。

傷ついていれば,私は傷ついているという顔をしていられます。そのほうが安心なのです。(安心領域を出るのは怖い)

めんどくさいと思いますか?それは人の心は単純ではないということです。あるいは私は面倒な人間なのです。



しかしながら,先日,震災体験について3年生に話をしたとき,正直しんどいなと思ったのですが,授業が終わったとき,ちょっとだけふわっと心が軽くなったのを感じました。

なんだろう,この感じ…。と,そのときはスルーしましたが,あとからよくよく考えて気が付きました。

そうです,私は生徒に話を聞いてもらって,癒されていたのです。



生徒は私の体験談を真剣に聞いてくれました。最後の授業だということもあるでしょうが,私が熱心に話すものだから,聞き入ってくれたのです。

しかも,質問したり茶々入れたりもしません。ときどき私が冗談を挟んだときに笑うくらいで,黙ってうんうんと聞いていてくれたのです。

これこそ『傾聴』です。生徒たちは私の話を傾聴してくれたのです。だから話を終えたとき,心がふわっとしたのです。納得がいきました。



そして生徒に癒されているということに参りました。でも自分の体験談を語ることは生徒のプラスになると信じています。

やはり生徒には伝えたい。自分が癒されるためではなく,生徒に自分の信念を伝えていきたい。

もっともっと,何年経っても,このことをきちんと伝えていこうと,決意を新たにしました。

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