【卒業文集】誰がために鐘は鳴る2016/03/01

「共鳴」という言葉を初めて聞いたのは、高校の吹奏楽部でのことだった。

「よく聴いてごらん。自分と周りの出している音のほかに、もう一つ上の音が聞こえるでしょう?」と言われ、トランペットを吹きながら耳を澄ませた。バンド全員の音程が揃ったとき、確かにその音が聴こえた。「それが倍音だよ。完璧に共鳴したんだ。」

「美しい音楽というのはその倍音がたくさん含まれていて、意識していなくても聴く人の心に響くんだ。」と教わった。


 
大学の物理化学の講義では、「同じ波長・振動数をもつものは共鳴する。音だけでなく、遠くのテレビも足元の放射線も同じだ。共鳴するとエネルギーになる。」と学んだ。

赤外線が水分子に共鳴して、物を温める。紫外線が皮ふ細胞に共鳴して、日焼けする。

電波がテレビに共鳴して、番組が切り替わる。放射線がDNAに共鳴して、傷をつける。

自然界はエネルギーを保存しているが、その間は共鳴という現象が繋いでいる。


 
人間はどうだろう? (あぁ、人間は共感できる。)

頑張っている人を見て、自分も頑張ろうと思う。悲しんでいる人を見て、涙が溢れる。

怒りの声を聴いて、拳を振り上げる。周囲を笑顔にする人につられて、笑みがこぼれる。

人は感動を生み出し続けているが、その間は共感という心が繋いでいる。



自分はどうだろう? (自分からは逃げられない。)

あなたの隣にいる人は笑顔でいるだろうか?どうしたら笑顔にできるだろうか?何と声を掛けたら笑顔になるだろうか?

その人の波長に合わせて、その人の心をふるわせるにはどうしたらいいのだろう?

昨日を後悔して泣く人の涙を振り払う波長…、明日を憂え恐れる人を奮わせる波長…、

遠く砂漠の地で飢えた幼な子を笑わせる波長、暗い病に伏す人を穏やかにする波長…。

そんな波長は分からない? いいや、そんなことはない。



人の努力は多様で無限であり、いくつもの可能性をもっている。

歌、ダンス、ピアノ、スポーツ、勉強、お笑い、恋愛…、あなたがどんなことに頑張っても、それに共感して感動する人がいる。

そして何よりもあなたの笑顔。あなたの笑顔はきっと人を笑顔にする。笑顔の光は誰もが放つことができ、そして誰もが受け止めることができるからだ。

辛いときはどうか耳を澄ませてほしい。遠くから何かが聞こえる。

誰かが誰かのために、鐘を鳴らしている。あなたの心はいつでもふるえられる。笑顔を見せに出てみよう。きっと誰かが笑顔で答えてくれる。

お母さん,いつもありがとう。2016/03/07

ぼくのたいせつなひと
2歳児をもつ妊婦さんママが,美容室に行くだけでもこんなに大変なんだという話がニュースになっていて,うちのお母さんもそうなんだろうなと思って読みました。

また,どこかのイケメン俳優さんが,ベビーカーを押している姿が「イクメン!かこいい」とニュースになっていました。

それを嫁ちゃんに見せたところ,一言…。

「くだらない。」

と,ズバッと斬って捨てました。その後,「なんで?」という問いに答えを教えてくれました。



以下,私なりの受け止め方です。

育児は母親だけでなく,父親もするのが当たり前。自分の子供なんだから。

それをイクメンという言葉でわざわざアピールするのはおかしい。

ベビーカー押しただけで育児になるんだったら,世のお母さん方はどうなるんだ。

イクメンなんていう言葉ではなく,「パパ」「お父さん」として育児にふつうに関わってほしい。

それを当たり前にしてほしい。ということだと思います。





本当にお母さんという仕事は偉大です。

24時間,子供の命を預かり,関わっているのに,

20年経っても,その育児の結果は出てこないのです。

お金に換算して評価されることも,他人から褒められることもありません。

ただ一つ,「我が子である」という理由だけで自分の命(時間,人生)を使うのです。

うまく表現できませんし,真に理解することは難しいのかもしれませんが,本当にすごいことです。



私も仕事に逃げ込まずに,お母さんと娘ちゃんをできるだけ支えられるようになりたいですね。

口で言うのは簡単です。行動しなければ意味がありません。

今のところ,ベビーカーを押すのではなく,料理を身につけることが目標です。



お母さん,ありがとう。

あなたのおかげで,私は娘ちゃんと遊べるし,妹ちゃんのことをドキドキ待てるのです。

うまく伝えられないけれど,いつも感謝しています。ありがとう。

【メモ】いろいろなところに付箋とペンを置く2016/03/08

付箋は正方形より長方形派です。あなたは?
アイデアはいつ湧いてくるか分かりません。

有益な情報はいつ得られるか分かりません。

でも「どこで」というのはだいたい決まっています。



例えば,職員室,理科室,理科準備室,教室,

家だと書斎,リビング,トイレ,ベッド,お風呂,

だからそういった場所でパッとメモが取れる仕組みを作っておくことが大切です。



簡単なことです。

これらの場所に付箋とペンをそれぞれ置いておくのです。

常に持ち歩いて充電も心配ないのであれば,スマホでも構わないでしょう。

現代はメモにアナログ・デジタル両方の手段が使えます。



やはり難しいのは移動している最中のアイデアです。

歩いているときであればスマホが使えます。

運転している最中にはボイスレコーダーでしょうか。もしくは音声認識アプリです。



今の悩みは,Androidで使える優秀な音声認識アプリが見つからないことと,

車で移動していても使える安定した通信環境がないことです。

これは技術の進歩とともに解決するか。あるいはiPhoneに乗り換えるか。



そしてこれからの最大の問題は…,

付箋を置いておいたら,確実に娘ちゃんたちがペリペリしてしまい,

スマホをいじっていれば,確実に娘ちゃんたちに奪われてしまうことです。

(トイレに逃げ込む作戦は無駄です。カギ掛けたら泣きわめきます。笑)

それもまた楽しい悩みとして,解決策を練ってみます。

はやく帰ってこないかな~…。

【卒業式】黒板に好きなようにメッセージを書かせる2016/03/10

そつぎょう,おめでとう!
まもなく卒業式ですね。準備,ご指導,お疲れ様です。

各学校で,準備計画やルールがあるでしょうから「そんなこと言っても無理だ。」と言われるかもしれません。

それでも思ったので書きます。



卒業式の前日くらいに,分散会をやるクラスは多いと思います。

文集を読んだり,アルバムを見たり,寄せ書きを書きあったり。

卒業ビデオ(DVD)を見たり,ゲームをしたり,写真を撮ったり。

企画としてはいろいろ考えられるでしょう。



そのなかで私は「黒板に好きなようにメッセージを書いていいよ。なんか考えて。」と時間をあげるようにしています。

生徒は黒板に書くのが好きです。さまざまなことを書いてくれます。

イラストが得意な生徒は絵を描いたり,クラス思いの生徒がクラスメイト全員の名前を書いたり,クラスで流行ったことやお礼の言葉,別れの言葉を書いたりします。

スペースが足りなくて横のホワイトボードに合唱コンクールの歌の歌詞を書いたり,後ろの黒板にまで出張する生徒もいます。

その年その年で,クラスによって様々です。それでいいと思っています。

自分の思いや感性を表現できる,最後のチャンスだからです。だから,控えめで後ろで見ている生徒にも声を掛けて,小さくても何か書くように促します。



もちろん消しません。そのまま残して翌日の卒業式を迎えます。

卒業式当日の朝,登校してきた生徒はそれを観て笑顔がこぼれます。湿っぽいだけの卒業式にはしません。

最後に教室に入ってくる保護者もそれを観て子供たちの思いを感じます。我が子がどんな中学時代を送ったのか垣間見ることができます。

最後の最後は,全員でその黒板の前で記念撮影をします。集合写真も撮りますが,親子で撮る姿もあります。時間が許す限り,好きにさせます。



自分が3年生を受け持つと必ずやることなので,今年の3年生の教室はどんなことを書いてあるのかな?と覗きに行くのが楽しみだったりします。

「あの日」から5年が経ちました。2016/03/11

毎年,年度末の授業進度の余裕を見ながら,この時期には震災の体験談を生徒達にしています。

写真もいくつかありますが,もっと見せたいものがあるのに,当時は写している余裕がありませんでした。

ゴミ箱からあふれたビールの空き缶の写真とか,象徴的で見せながら話したいんですけどね。

今年も入試後の3年生に,最後の授業として話しました。3年間,私の授業を受けてくれた生徒たちでした。

話しながらしだいに声が小さくなり,胸が締め付けられ,目にこみ上げるものがあります。それを誤魔化しながら,自分を奮い立たせて話しました。



今年度は放射線教育セミナーを本校で開いたので,同じセミナーを開いた各学校の先生方が集まっての反省会にも出席してきました。

放射線教育について携わっている大学の先生に噛みつくように意見してしまう自分を,抑えることができませんでした。

終わってから,丁重に頭を下げて先生方を見送りました。これから気をつけます…。





原発再稼働に向けて,国が動いています。電力会社が動いています。

残念でなりません。

原子爆弾を2度落とされて気が付いた日本です。

原発事故も2度起きないと分からないんですか。



中間貯蔵施設はまだ完成していませんよ。

最終処分場はまだ候補地さえ挙がっていませんよ。

原発の使用済み燃料貯蔵プールはあと数年で埋まりますよ。

六ヶ所村の再処理工場稼働はまた先送りになりましたよ。

核燃料サイクルは「リ」サイクルではありませんよ。

「もんじゅ」の維持費は1日5500万円だそうですよ。



原子力発電はもういいでしょう。

私たちが過去の戦争から学んだように,

原発も愚かな行為の一つだと学びましょうよ。

過去のものにしましょう。

子供たちが「昔は日本にも原発あったんだって。」と話す世の中にしましょう。



5年が経ちました。

それでもまだ3.11という日は私に影を落とします。

今日は疲れています。
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