ほめない教育、しからない教育2017/05/15

今年は経験者研修Ⅱの年です。

教諭になって11年目となりました。

今日は校長先生と面談しました。



理科の授業について、話していく中で自分の課題が見えた気がしました。

一人で悶々と「自分の課題ってなんだ~」と考え込むよりも、

誰かと話してみるほうがはるかに有効だとあらためて思いました。

(忙しさにかまけてゼロ秒思考がストップしてしまっています。)





学級経営についても話したのですが、どうもうまく伝わりませんでした。

校長T>「学級で何か気を付けていることはありますか。」

わたし>「教室ではほめないようにしています。」

校長T>「それが良いときもあれば、悪いときもあるね。」

と、そのあと切々とほめることについて諭されました。



わたし>「生徒の変容を見つけようとしていないわけではありません。」

などと反論を試みましたが、うまく説明できません。

結局は、

校長T>「自分の思いをうまく伝えられないというのも、先生の課題ですね。」

と言われてしまいました。

ショボーン…。



私の解釈ですが、

アドラー心理学では、先生が生徒をほめることによって、ほめられる生徒群 vs ほめられない生徒群という対立構造を産まないようにしています。

そうすることで、ほめられる生徒の優越感を助長し、ほめられるために行動するという誤った動機づけを強化しないようにしています。

また、ほめられない生徒が、ほめられないから他の方法で注目を集めようという第2段階に悪化していくのを防いでいます。

その根源は「先生が生徒をほめる」ことにあるわけです。

では代わりに何をするのかといえば『勇気づけ』です。

「ほめる」代わりに『勇気づける』のです。

それは特別な何かをしたときに取り上げるのではなく、ふだんの細やかな行為に気付きを与えることだと思っています。





しかし、私はまだこの勇気づけについて、他の人に説明するだけの理解をしていません。

それこそ、言葉を持っていないのです。

先日は、生徒に「貢献感」について話をしました。生徒はまだ分かっていないかもしれません。

でも学級の中に、特権階級を目標に競争に駆り立てることはしたくありません。



私がアドラーを勉強していると言ったら、「いいですね」と言ってくれた先生もしました。

私がアドラーを理解すればするほど、生徒にも先生方にも分かってもらえるのかもしれません。

難しいですが、やっていくしかいないですよね。

誰も分かってくれなくても、自分から始めるしかないのです。

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