理科を学ぶと人間が好きになる2015/02/16

「どうして理科を学ぶのか?」と大学の講義で問われたことがあります。

学生は何十人もいて,黒板にそれぞれ一言で書くように言われました。

みんなは「科学を進歩させるため。」「毒になるものを知るため。」「受験のため。」などそれぞれに書いていました。



私はさんざん悩んだ末に,最後の方に出ていって,黒板の隅にこう書きました。

「おもしろいから。」

大前提は,第一歩目は,あるいは究極的には,これしかない!これが正解だ!と思って書いたのでした。



先生が解答の一つ一つにコメントしながら,私のを見て,

「だから~・・・理科が面白くないから問題にしたんでしょ。」

と,一蹴されたのを今でも覚えています。



私の答えって,間違ってましたかね?

理科って面白くないですか?

それからというもの,私はこのエピソード記憶とともに,何度も「どうして理科を学ぶのか?」と考えるようになりました。



理科を学ぶ楽しさは,いろいろあるでしょう。

わたしが考えていたのは,「SFが面白くなる。」ということです。

理科を知らなければ,どこまでが現実にありうることで,どこからが空想なのか,分からなくなります。

そして,その空想の部分がどうしてそうなるのか考えられるから楽しくなると思います。



たとえば,ドラえもんの四次元ポケット。そんなポケットは存在しなくて,そこがもうSFなのですが,だから面白い。ドラえもんがそこからどんなものを出すのかとワクワクする。便利な道具だけでなく,役に立たないものも飛び出してくるから面白い。どこがどうなっているのか,タケコプターでどうして空を飛べるのか,想像する楽しさがあります。



たとえば,怪獣や宇宙人が出てきます。口から火を吹く。想像はできますが,そのエネルギー源はどうなっているのでしょう?どうして口の中を火傷しないのでしょう?そこを作中のいろいろなヒントをもとにあれこれ考える。ゴジラはどうして海へ帰っていくのか?ウルトラマンのスペシウム光線とは何か?それが楽しい。



たとえば,ロボットが出てきます。エネルギー源はなんなのか?中に乗っている人はどうやって操縦しているのか?自分だったら操縦できるだろうか?考えただけでワクワクします。ガンダムはリアルに作ることが可能で,スペースコロニーも構想としてはすでに有って,ミノフスキー粒子だけが架空のものなのだと知ったときは興奮しました。



そうやってSFの部分を楽しみ始めると,現実の部分も楽しくなってきます。

「現実にそんなことがありえるのか?そうなんだ,そうなればありえるのか。」

たとえば,福山雅治の『ガリレオ』や沢口靖子の『科捜研の女』なんかがそうですね。

あれは架空の話ですが,SFではなく,可能性のあるお話です。そのSFと現実のギリギリのラインで描いているから面白いわけです。



そしてやがては,それを考え出したり,作り出していく人間そのものへの関心になっていきます。

つまり人間の可能性,自分の可能性へと興味・関心が深化していくわけです。

だから理科を勉強する。理科を学ぶと人間が好きになる。今はそう思っています。
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