【8万アクセス】教師としてどうしてブログを書くのか2015/04/08

画像はイメージですw
このブログは,公私混同で書いています。

それには,私自身が仕事人間だった自分を改め,私生活も大切なのだと思うようになったことをきっかけに,

『ワーク・ライフ・バランスを取るため』という理由があります。

生徒や学校の話ばかり書いているときは,家族や自分のことを疎かにしている。

趣味や物欲の話ばかり書いているときは,仕事や家庭のことを怠けている。

そんな風に考えて,混同にすることでバランスが取れると思っています。





実は,もう一つ理由があります。

それは,

『教師として自分自身が,「一人の大人のモデル」を示す』

ためです。



ここからは私の勝手な私見です。

小学校までは学級担任が基本的に全教科を受け持ちます。

朝から帰るまでずっと一緒に生活することで,基本的生活習慣,学習習慣,人間関係力の基本を指導することができます。

それに対して,中学校は教科担任制です。一人の生徒にたくさんの教師(大人)が関わります。

それによって,中学生に,さまざまな大人としての生き方のモデルを示しているのだと考えています。

いろいろな大人がいること,いろいろな生き方があることを,生徒に提示するのが中学校なのだと考えています。



教師は本や話の中よりも『よりリアルな大人』をモデルとして提示します。

つまり,学生を卒業して,仕事をし,結婚して,子供を育て,家を建て,健康に気を使い,部活動に打ち込み,勉強を続け,転任・退職していく。

そういう一人の人間としての生き方を,自分の人生を題材として,生徒に提示するのです。



同じ「教師」という仕事でありながらも,さまままな大人がいることを示していきます。カメラが特技の理科教師がいれば,野球が趣味の国語教師もいるのです。

子供たちは,教師のそういう生き方を見て,「自分もああなりたいな。」「自分はああはならないぞ。」と取捨選択しながら大人になっていくのだと考えています。

さらにその中で,子供たちは職業というものを理解し始め,「ああ,ああいう仕事もいいな。」「なるほど,そういう仕事もあるのか。」と感じて,自分の夢にしていくこともあるわけです。



例えば,私が結婚した年に受け持っていた女子生徒の一人は,将来の夢に「ウェディングプランナー」と書いていました。

家を建てた今年は,そんな話はしていないのですが,「建築家になりたい。」と書いた生徒がいました。

つまり,教師の今のライフステージが,生徒の進路にも影響を及ぼすことがあるわけです。だから色々な世代の先生がいる学校の方が,本当はいいのです。



私がブログを通して表現したいことの一つは,

そうやって仕事と家庭のあいだを行ったり来たりするのが生きると言うことであり,

そうやって失敗してショ気たり,うまくいって喜んだりするのが人間というものなんだ,

ということを中学生に伝えていきたいわけです。
(理想的なモデルではなく,現実にいる等身大の一つの例として。)





以上,そんなことを考えたり考えなかったりしながら,どこまで続くか,このブログで書いていきます。

ほんとは単純に,ブログを2つも管理するなんて無理!というのが本音かもしれません^^;

今日で8万アクセスを達成しました。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

【卒業文集】「坂の上、空の向こう」2015/03/12

文化祭の「中学校あるある」で、すごく共感したことは、「うちの中学校はどこから来ても上り坂」だった。

毎日毎日、自転車で必死に登る姿を横目に、今日は何を話そうかと考えていた。

「話し合い」が好きなクラスだった。

クラスの中でいろいろなことが起きて、その度に「話し合い」をしていた。

それが終わるとなぜかクラスが一致団結して、クラスのレベルが上がっていくのが分かった。

担任としてはハラハラさせられてばかりだったが、その先にあるはずのレベルアップを信じて、話し合いの行く末を見守りながら、いろいろな話をしてきた。



「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」

という話をしたとき、あなた方は大いに悩んでくれた。

強さとは何だろう?優しさとは何だろう?どうやったら両立できるだろう?

私はそのヒントも話したつもりだ。



強さとは1番を目指す。誰よりも強いこと。ある意味簡単。世界最強になればいい。もしくは世界で唯一のものになればいい。頂上を目指せばいい。

優しさとはそうではない。優しさは無限である。どこまでも広く、深いものだ。何をすれば優しいとか、世界で一番優しいとか、そういうことではない。時と場合と相手によって姿や形を変えるものだ。優しさに終わりはない。湧き水のごとくである。

強さと優しさとは何だろう?相反するものなのだろうか?

私はそうは思わない。思い描くのは反比例のグラフではなく、比例のグラフである。X軸とY軸である。方向が違うのだ。だからこそ両立できる。片方だけではダメだ。両方とも大切なのだ。



宇宙の始まりはすべての素粒子が一点に集まった状態だった。何もなく、それでいて全てがある。強くて優しい世界であった。

ビッグバンによって始まった拡大する宇宙の果ては見えないけれど、ニュートリノやヒッグス粒子などが、宇宙空間を満たしている。

宇宙は無限で、かつ唯一のものである。



どうだろうか。私たちはこの宇宙と同じように、世界を優しさで満たすことはできないだろうか。それだけの強さをもつことはできないだろうか。

世界の果てで飢えた人に、渇いた土地に、焼け焦げた空に、いっぱいの水を届けることはできないだろうか。

そのためにはやはり、優しさも強さも必要なものだろう。



あなた方は、あの坂を登りながら、強さと優しさを身につけてきた。

あなた方ならきっとできる。

心配することはない。

離れていてもまた戻って来れる場所がある。

試すことに失敗はないのだ。

自分がやりたいことを自分でできた時が一番嬉しいのだ。



迷ったら坂を登れ。高いところから世界を見渡し、空を見上げよ。応援している。



平成26年度 卒業文集原稿より

「unlearn」とは何か。2015/01/07

Unlearnという言葉を何度か聞きました。気になって調べてみました。

単純な意味としては,「捨てさせる」「忘れる」です。

教育学的な意味としては,もう少し深みがあります。



『unlearn』

1度学んだ(learn)ことを,失う(un)。学ばないではなく,学んだことを一度疑うことで,固定観念から脱却すること。

今まで学んだ事柄を,既習の知識にとらわれず,いったんふるいに掛けてみる。

=「学びほぐす」



ということのようです。なるほどな~と思いました。

確かに,捨てるということは,一度は手に入れたということ。忘れるということは,一度は覚えたということですからね。

単語ひとつに,深い意図が込められていました。

英語って面白いですね。

【原稿】生徒会役員選挙 生徒会担当の先生のお話2014/09/12

生徒会役員の改選の時期です。

本校は10月で前期・後期の委員会活動が切り替わるので,それに先立って生徒会役員の選挙が行われます。

生徒会役員の任期1年間です。つまり2年生の後期から3年生の前期までを任されます。



生徒会活動というと,どうしても生徒会役員のことを言われます。

先日も「生徒会役員が目立っていない。活動しているのか?」と反省に書かれたのですが,私自身はそうは思っていません。

生徒会役員は目立たない所で活動しています。

国旗の掲揚,生徒会新聞,エコキャップ運動,募金活動,週ごとの生徒会放送,集会の準備や司会など,目立たないでしょうけども,気付かれないところで活動しています。



生徒会役員が目立ってばかりで,他の生徒が何もしていないよりも,生徒会役員がバックアップをして,他の全校生がそれぞれの役割を果たしている方が健全だと思うのです。

学校の主役は一人一人の生徒です。生徒会役員ではない。

なんか,反省に書かれたこともあって,少し悔しかったです。生徒会活動に対する先生方の考え方というのは,微妙に異なるのでしょうね。





「では,先生のほうから話をします。

生徒会とは,なんでしょうか?

(ここでしばらく生徒を見渡す。)



生徒会とは,みなさんが所属している会です。ですから,みなさんは,生徒会会員なんです。

このステージに上がっている生徒会役員は,役員であって,彼らだけが生徒会ではありません。誤解しないでください。

だから,みんなから生徒会費というお金を集めて,部活動や委員会へ予算配分をして活動しているのです。そうですよね?



生徒会の主役は,生徒会役員ではありません。あなた方一人一人が主役なのです。

ですから,みなさんが一生懸命に委員会活動や部活動に取り組むことが,生徒会が活発だということです。

生徒会役員は,集会のときや対外的なときに代表を務めているだけで,それ以外のときにはみなさんの活動を支援する立場になります。

だから,演説のときにも「応援してください。」「協力してください。」という言葉が並んだんですね。



今回決めた生徒会役員。彼らと協力してますます楽しい,さらに充実した中学校生活になるように,がんばってください。

これから行われる文化祭もなにも,学校行事を楽しむのも,盛り上げるのも,自分達なんだということを忘れないでください。

全校生一人一人が主役になって,中学校時代を過ごしてくれることを期待しています。

では,これで終わります。」

「お前」って言わないために2014/05/23

【金言】というタイトルタグをつけて,記事を上げてきましたが,実を言えば,今日の記事を書くための布石でした。



「バカ」「アホ」「お前」って言う前に

美しい言葉を探してください。



という掲示物をA3サイズで作成して,きのうまでの4枚に混ぜ込んで教室のうしろに貼りました。

守秘義務がありますから,オモテの理由は書けませんが,ウラの理由は自分への戒めです。

わたしは生徒に向かって「バカ」「アホ」とは言いません。

「バカじゃないんだから,しっかりしようよ」みたいな言い方をしてしまうことはありますが,頭ごなしに,吐き捨てるように暴言を使うことはありません。



しかし,「お前」や「お前ら」は使ってしまうのです。

「お前,そんなんでどうするんだよ。」「お前ら,しっかりしろ,やればできるだろ。」

みたいな感じです。大して悪いことのようには感じていなかったのですが,使うのをやめようと思いました。



実を言うと,娘ちゃんに向かって,「おまえ,なんで泣くの~?」とか,「おまえさー,寝てもいいんだよー」という感じで使っていたのです。

悪気はありません。悪意よりも愛情をもって言ったつもりでいました。

しかし,嫁ちゃんが「上から言っているように聞こえる。そういう愛情は感じない。」と注意してくれました。

自分ではそんなつもりはないのですが,聞いている人が不愉快ならば改めたほうがいいよな~と,嫁ちゃんの機嫌を気にしつつ思っていました。



そんなある日,近所のスーパーへ買い物へ行った時でした。

私は娘ちゃんを抱っこして,嫁ちゃんが会計するのを待っていました。

すると,スーパーとかによくあるゲーム機で,子供2人とお父さんが遊んでいました。子供は2歳と4歳とか,そんな感じに見えました。

チャリーンと音がして,2歳の男の子が100円玉をゲーム機の下に落としてしまったときです。

「お前,何やってんだよ,このガキが!ポケットに入れとけばいいだろうが,ったく,お前はもう!」

お父さんの言葉でした。

ビックリしてしまいました。自分の2歳の息子に向かって,すごい言葉遣いだなーと思いました。

そして,ほぼ同時に「お前」って嫌だな,と気づくことができたのです。



嫁ちゃんに言われ,客観的に言っているのを聞き,ようやく良くない言葉だと実感することができました。

教室では,前よりも意識して「君たち」「あなたがた」と言うようになりました。

同じく娘ちゃんにも,つい「おまえ」って言ってしまうことが減ってきたように思います。

まだまだ口に出てしまうこともあるのですが,そんな自分を戒めるための掲示物を,教壇に立ったときに見えるように,教室の後ろに掲示したのでした。

生徒たちには,「先生も言葉づかい改めるように努力するから,君たちもいい言葉を使うようにしようね。」と話しました。



教師としても,父親としても,まだまだ修行です。いつもですが,今回も,嫁ちゃんに感謝します。指摘してくれて,ありがとう。

【金言】私たちの学校生活2014/05/22

私たちの学校生活

余裕をもって登校するのは
      1日をさわやかに送るための基本です。

朝自習を真剣に行うのは
      それが1ヶ月4時間になる大切な学習時間だからです。

あいさつをしっかりするのは
      それが人づきあいの基本だからです。

中学生らしい服装をするのは
      他の人が身なりであなたを判断するからです。

きまりを守るのは
      それがしてはならないことだからです。

黒板をきれいにするのは
      それがクラスのやる気を映す鏡だからです。

机や椅子を整とんするのは
      それがクラスの落ち着きをあらわすからです。

ゴミをきちんと始末するのは
      それがクラスの緊張感をあらわすからです。

掃除をしっかりするのは
      いつもきれいなところで生活したいからです。

時間を守って行動するのは
      世の中すべて時間で動いているからです。


友達を大切にするのは
      自分が大切にされるためです。

授業を真剣に受けるのは
      知識は見えない財産になるからです。

善悪を区別して行動するのは
      みんな一緒に生きているからです。

後片付けをしっかりやるのは
      それが使う人の責任だからです。

トイレをきれいに使うのは
      次の人に気持ちよく使ってもらうためです。

廊下で走ったりふざけたりしないのは
      そこはみんなが通るところです。

人の話や放送を静かに聞くのは
      大切な情報を伝えているからです。

部活動を必死でやるのは
      歯を食いしばってでも勝ちたいからです。

チャイム着席をするのは
      よしやるぞという意欲のあらわれです。

忠告をうけて反省するのは
      あなたがもっと伸びようとする証拠です。

助け合って,励ましあって生きるのは
      それは私たちが人間だからです。





同じく,教室掲示です。残念ながら,誰が作者なのか分かりません。

ある学校へ行ったときに,掲示されていたものを必死でメモしてきた。という記憶があります。何年前のことだろう??

【金言】学校で一番2014/05/21

学校で一番

                    福沢 諭吉

一、 学校で一番楽しいこと
             好きな教科をもっている。
一、 学校で一番さびしいこと
             注意してくれる友達がいない。
一、 学校で一番美しいこと
      落ちているゴミを拾うこと。
一、 学校で一番悲しいこと
        人に迷惑をかけること。
一、 学校で一番みじめなこと
      規則を破っても気にしない。
一、 学校で一番みにくいこと
        授業の邪魔をする。
一、 学校で一番尊いこと
      父母や先生に感謝する。



A3サイズで印刷して,教室に掲示しました。異動先でも使っています。

「福沢諭吉が書いたものだよ」というと,子供たちも注目するようです。

【金言】強くなければ2014/05/20

強くなければ
   生きていけない。

優しくなければ
   生きていく資格がない。

(レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説。私立探偵のフィリップ・マーロウの台詞。)





どうも出だしに,「男は」と付くらしいのですが,そんなことはないと思いますので,この部分だけ。

この言葉はいつ聞いたのか,何で読んだのかさえも記憶にありません。

出会ったのは,おそらく中学生のときだったと思います。とても衝撃を受けた言葉です。



中学時代の私は,強くなろうとばかりしていました。

自分より弱い人間がいることを理解できなかった,受け入れられなかったのです。

いじめられている友達を見て,「どうして強くなろうとしないんだ!」と憤ってさえいました。

自分は強くなって,いじめっ子を跳ね除けていましたからね。

でも,そうではないのですね。強くなりたいと思っても,なれない人たちもいるわけです。

強者の論理だけではダメなのです。

弱い人でも生きていける,そういう世界には,優しさが必要です。



強いということは,実は優しいということことです。

強くなるということは,それだけ優しくならなければならないということです。

「強さ」と「優しさ」は相反するものではなく,両立できるものです。

中学校のときに出会って以来,ずっと私に「今の自分はどうか?」と問い続けてくる言葉です。

【金言】疲れてはならない2014/05/19

人と人とのあいだを
      美しくみよう

わたしと人とのあいだを
      美しくみよう

疲れてはならない


 詩人・八木重吉

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%A8%E9%87%8D%E5%90%89





実は詩人・八木重吉のことは何も知りません。いま,Wikiで知った程度です。

この詩は,かつてお世話になった教頭先生が,卒業文集に寄せたものでした。

ですから,私の中でこの詩は,教頭先生が読まれたもののように感じています。

本当に,この詩を体現なさっていた先生でした。講師時代でしたが,多くのことを学びましたし,教えてくださいました。今でもたびたび教頭先生のことを思い出します。



この詩を読んだとき,自分と他の先生や生徒との関係を考えました。

「ああ,そうだ。疲れてはならない。
自分が疲れていると,人のイヤなところにばかり目が行ってしまう。
人と人のあいだのイヤなことを探そうとしてしまう。
相手の悪いところを探して,自分を正当化しようとしてしまう。
そうだ,せめて心だけは疲れないようにしないと。」

と思いました。

それ以来,私はたびたび自分の中でこの詩を思い出して,「疲れてはならない」と呟きます。

私にとって「金言」の一つになっています。

学期ごとのスタート3日間2014/04/03

先生方と話をしていて気が付いたのですが,いわゆる「黄金の3日間」をご存知ない先生がいらっしゃいました。

自分の常識は,みんなの常識ではないということですね。

それでも,自分の指導力のレベルとは別に,知識として知っておいてもいいと思ったので,自分の考えを書いておきます。

(私自身はTOSSは知っている程度です。参考にはしていますが,傾倒はしていません。ですから,ここに書いてあることも,TOSSとしては違う!と言われるかもしれません。)





【黄金の3日間】
 春休み明けの3日間。新年度の始まりです。

 この3日間は,どの子も新しい学年への希望とやる気に満ちていて,先生の話をしっかり聞こうとします。

 そこで,学級経営方針をきちんと伝えたり,係や当番,委員会などの仕組みとルールを作ったり,学級目標や学級スローガンを立てさせたりします。

 先生自身もやる気がみなぎっているはずです。4日目にどれだけイライラしたり,怒ったりしないで済むか,この3日間に本気で取り組むといいです。

 逆に言えば,4日目の生徒の失敗は,先生の失敗です。ルールや決まりを生徒全員に共通理解させ,共通実践させる必要があったのに,どこかで抜けてしまったのです。改めてフォローしましょう。





【白銀の3日間】
 夏休み明けの3日間。一番長い2学期のスタートです。

 この3日間は,生徒は夏休み明けでまったく本調子ではありません。1学期に指導した努力はなんだったの!?というくらい仕組みやルールを忘れています。

 怒る必要はありません。当たり前なのです。学級という公共の場から,家庭という私的な場に生活の中心があったのです。ルールを忘れて当然です。

 ですから,ルールを忘れているだけだと心に余裕をもって,「1学期にこう決めたよね?」と思い出させればいいだけです。

 また,「もう慣れたと思うから,2学期からはこういう風に変えたいんだけど,できるよね?」とルールを変えるチャンスでもあります。

 もちろん,ルールを覚えていて破った場合には,しっかり指導する必要があります。





【青銅の3日間】
 冬休み明けの3日間。1年の始まり,年度の終わりです。

 冬休み明けのルール忘れは,夏休み明けほどではありません。ずっと指導してきているので,ほとんどの生徒はルールを覚えているはずです。

 反対に,まじめな生徒はだんだんと息切れしてくるころです。また,かしこい生徒は手を抜き始めるころです。

 そこで,そういった生徒たちへの活力を与えるようにします。私はいつも「3学期は年度の終わり,まとめの学期だよ。そして,新年の始まり,上級生になる助走の学期だよ。」という話をしています。

 そして,何度も学級目標を確認して,「何をどうやったら,目標を達成したって言えるの?自分たちで目標立てたんだよね?」と迫ります。

 自分たちが4月のやる気がみなぎっていたときに立てた目標。この自分たちの印籠を自分たちの目の前に突き付けられて,生徒たちも発奮するようになります。

 さらに,「つぎの学年に向けて,こういう風にルールを変えたいんだけど,がんばってね。」と言って,ルールを変えることもできます。





 3日間で伝えられなかったルールは,「先生の指示が足りなかった。申し訳ない。こういうふうにしたいんだけど,いいかな。」と全員が聞いている状態で話をして,立て直します。

 また,2学期,3学期のはじめにルールを変える場合も同じです。「君たちの成長を見ていて,こういうふうにルールを変えたいと思ったんだけど,よろしくね。」

 中学生が相手ですから,きちんとした理由を説明します。大人として扱うのです。

 「この方が,一人一人の負担が減る。」「日直の仕事が大変そうに見える。」「上級生には,こういうことが求められる。」というように,そうすることのメリットや意義をしっかりと話します。

 生徒が同意して,納得してくれることが大切です。学期始めの3日間であれば,素直に聞いてくれます。

 4日目以降になると,「先生,前はそんなこと言わなかった。」「このあいだと言っていることが違う。」などの反論や不満の声が出てきます。きちんと謝って,説明責任を果たすのが,大人として必要なことだと思います。

 相手を子供扱いして,「いいから,こうするの!」というのでは,子供の成長を阻害してしまうように思います。





さて,今年度の学級経営方針を確認してみますか。

(まだまだ未熟者の考えですが,何か参考になれば幸いです。)
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