人はどうして学ぶのか?2013/06/09

テレビ「7daysチャレンジTV 一緒に、未来貢献。」を少し観ました。

世界で教育を受けられない子どもの数(小学校未就学)は,6000万人。
理由は
 「紛争」 … 少年兵の問題。
 「過激な思想」 … 宗教の解釈の問題。
 「貧困」 … 奉公制度の問題
です。
その後,貧困問題について,池上さんの現地取材のVTRを観ました。

表題の質問に対して,一般の大人にアンケートすると,3割くらいの人が「わからない」と解答したそうです。

それに対して,池上彰さんは取材の結果から「人は,人間になるために学ぶのだ。」と話していました。

確かに,上記の理由では子どもは夢も希望も持てません。人間らしい生活を送れるとも,送っていけるとも思えません。その状況を打開するのは,やはり教育の力だと思います。

日本の子どもの学習意欲が低下していることは周知の事実です。TIMSSの結果からも否定できません。学力が下がる以上に,学習意欲が下がっています。

しかし,日本の子ども達には「紛争」も「貧困」もありません。むしろ無縁です。その子ども達に対して,

「世界ではこんなに苦しんでいる子どもたちがいるのだから,学べることは幸せなんだ。学ばないと人間になれないんだ。」

という説明は通用するでしょうか。

感動はします。心は揺さぶられます。

でもそれが,目の前の宿題へのモチベーションになるのでしょうか。



ここからは私見です。

私は「人は幸せになるために学ぶ。幸せとは,学びの先にある。学ぶとは,よりよく生きることだ。」と考えました。

分からないことが分かる。その瞬間,笑顔が生まれ,人は幸せを感じます。

何かを学んで納得できたときや実感したときに,喜びや感動が湧きおこる。
問題を発見し解決したときに,達成感や自己効力感が生まれる。

それが快感となって,また問題を見つけ,解決しようと努力する。
その過程でまた何かを学び,喜びや感動を味わう。

そうやって生きることは幸せであり,それを続けることがよりよく生きることです。



そこには,貧困も紛争も関係がない。そういった他者との相対的な立場のなかに「学ぶ」理由を見出してはいけないと思う。もし世界から弱者がいなくなったら,わたし達は学ぶ理由を見失うことになってしまう。

絶対的な解として,問題の答えを自分の中に求めたほうが良い。

自分が学ぶと,自分が幸せになる。それでいいと思う。



そんな風に考えました。ご清聴ありがとうございました。

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