自分の実践で勝負する2013/10/09

今日は朝から出張でした。久しぶりの長距離通勤です。

他地区の先生が行われた理科の授業研究に参加して,分科会,協議会に地区代表として出席してきました。

知り合いの先生方にたくさんお会いできて,懐かしくて,すごく嬉しかったです。



このブログでもたまに書いていますが,他の先生の授業を見るのは大変参考になります。

しかし,そのままはできませんし,そのままはやりません。

指導案に○年○組と書いてある時点で,どんな生徒にでも通用する普遍的なものではないからです。



私の悪いクセで,ついつい批判的に見てしまうので,(俺だったら,そうじゃなくて,こうするな)という思いがこみ上げます。もちろん,共感する部分もありますが。

いつもだったら,そのあとモヤモヤしながら帰ってくるのですが,今回は質問する機会がありました。おかげで,授業者の先生の考えなどをお聞きすることができ,だいぶスッキリしました。

そして帰りに,改めて自分だったら・・・という宿題を自分に作ることができました。



しかし,こういう会議に出るときはいつも思うのですが,どうして先生方は黙ったままでいられるのでしょうか。

わざわざ遠方から出張してきて,黙ったまま帰るのはもったいないと思いませんか。

疑問に思ったこと,興味をもったことをどんどん聞いて行かないと,時間の無駄に思えて仕方ありません。

ほんと私の悪いクセで,黙っていられないのです。ヘタすると,今回の議事録の半分は私の質問や意見かもしれません。

そしていつも帰りに反省するのです…。(しゃべりすぎた。他の先生が発言するチャンスを奪ったかもしれない…)と。



そこで今回は,後半は沈黙してみました。

先生方の実践が発表されるたびに質問したいことは浮かんだのですが,誰かが言ってくれるだろうと思って,キョロキョロ,モジモジしながら待っていました。

そして,誰も発言しないまま協議は終わりました。

最後に,私のほかに発言の多かったもう一人の先生から,会そのものについての批判が出たのが残念でした。

残念に思ったのは,その先生自身の実践があまり見えなかったからだと思います。

批判するからには,それに代わるだけの対案(代替案)を示さなくてはいけないと思います。もしくは,それが資料としてなくてはならない。批判だけなら誰でもできるのです。



今回用意していった私の武器は,自分の実践してきたものです。

「優位感覚による意図的班編成,意図的指名」

「週末課題ドリルによる基礎基本の定着」

使いませんでしたが「個人でできるICTの活用」

の3つでした。



いちおう会の話し合いの文脈に沿って,それらについても発言しました。

休憩時間に「さっきの話,もう少し教えて」と言われても対応できました。

自分が実践してきたことなので,iPadに入っていた自分のプレゼン資料を使ってその場で説明しました。

協議会に出るならば,(特に代表とかいう立場ならばなおさら)そういう準備が必要だと思いました。



自分のやってきた実践がどこまで通用するか,批判に耐えられるか,共感を得られるか,そういう勝負ができた一日でした。

疲れたけど,今は達成感があります。

また明日から,現場で実践を積み重ねていきます。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...