研究授業で見るところ2012/11/02

今月の後半に研究授業をすることになりました。全部で4人の先生が授業を行います。打ち合わせで指導案の提出についての話が出て,さっそくどこの授業を行うか検討を始めました。

そんなとき,若い副担の先生に次のような質問をされました。

「先生,研究授業のときって,何を見たらいいんですか?私にはどの先生の授業も素晴らしくて,逆に授業のどこを見て,何を学んだらいいのか分からないんです」

こういうことを率直に質問できる彼は,素晴らしい教師になっていくと思いました。

確かに20代のころは,先輩先生の授業はどれも素晴らしいものに見えます。私もそうでした。しかしだんだんと,いい授業とわるい授業が見分けられるようになってきました。そこで,自分なりに次のようなアドバイスをしました。

第一に,子どもをよく見ること。

子どもがきちんと学んでいるか,書くこと,聞くこと,話し合うこと,活動することができているか観察します。特に,いわゆる「やんちゃな子」や「おとなしい子」を見つけて重点的に観察するのも,すごく勉強になります。彼らがどのように学んでいるか,授業者ではない心の余裕をもった第三者として見るいい機会です。

全体ではいい授業のように見えて,やんちゃな子やおとなしい子が実は何もやらずに1時間が終わっていることがあるからです。先生だけを見ていると気づきません。大事なのは,生徒を見ることです。

第二に,先生が何を行っているか見ること。

すべての子どもがきちんと学ぶために,どのような指示の仕方をしているか,どのように説明を工夫しているか,机間指導では何をしているか,個別指導では何と声をかけているか,個別指導のあいだにそれ以外の生徒にどのような配慮をしているか。

一つ一つの時間配分はどうか,具体物は何があるか,板書の内容はどうか,授業の目標は達成しているか,形成的評価はどのように行っているか,その評価をどう生徒に伝えているか。

大切なことは,先生の一挙手一投足,一字一声,視線,立ち位置まで含めて「すべてがすべての生徒のため」になっているかどうか,です。

そして第三に,自分ならどうするか考えること,その場面を想像すること。

ほかの先生の授業を見て,批評ができるようになるのは,ただの天狗です。そんなことに価値はないでしょう。それよりも,自分だったらこうする,こうしたほうがいいという対案を考えて,実際に自分にできるかどうか想像してみることです。できもしない,やりもしない,やってもいないことは生徒のためになっていません。学んだことは生かさなければいけません。

この三つの視点をアドバイスしました。

もうすぐ自分もそういう目で見られることになります。さて,指導案を練らねば…。
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