【教育実習】この1分をどうするか? ― 1999/06/28
教育実習の思い出です。今は2015年3月5日です。もう16年も前の話です。
私の教育実習は、附属中学校の2年生のクラスで行いました。
クラスには他に実習生が3人いて、3週間のあいだチームを組んで頑張りました。
実習の後半になると、自分で専門教科の授業をやるようになります。
道徳や学活については、クラスの代表1名が授業を行うことになります。
私は教職を目標にしていましたが、他の3人は免許は取るけど採用試験は受けないという面子でした。そんなわけで、道徳の授業は、私にお鉢が回ってきました。
道徳の指導案を書いてきて、他の実習生の先生と練っていたときでした。
先生「この導入なところ、3分は長くないですか?2分にできないかなー?」
私「そう?細案はまだ書いてないんだけど、3分はかかりますよ。」
先生「でも大事なのは話し合いの部分でしょ。そこに少しでも時間を割かないと・・・。」
私「わかりました。じゃあセリフを細案で書いて時間を計ってみましょう。」
そんな話を小声で、朝自習をしている教卓でしていたときでした。
生徒「そんなに細かいんですか??」
教卓の前の生徒がふと呟きました。私たちの会話が聞こえていたのですね。集中を欠いてしまい申し訳ない。
私「そうだよ^^。1分,大事だよね。」
そんな風に答えたと記憶しています。
1分・・・。たった1分ですが,50分の授業のなかの1分です。
生徒はその1分のあいだ,じっと座って拘束され,自由を奪われています。
この1分をどうするか,私たちは細心の注意を払って,授業を練っています。
教育実習中に,生徒に聞かれ答えたこと。これからも大事にしないといけないです。
学校に教育実習受け入れの電話が来たので思い出しました。自戒のための記事です。
私の教育実習は、附属中学校の2年生のクラスで行いました。
クラスには他に実習生が3人いて、3週間のあいだチームを組んで頑張りました。
実習の後半になると、自分で専門教科の授業をやるようになります。
道徳や学活については、クラスの代表1名が授業を行うことになります。
私は教職を目標にしていましたが、他の3人は免許は取るけど採用試験は受けないという面子でした。そんなわけで、道徳の授業は、私にお鉢が回ってきました。
道徳の指導案を書いてきて、他の実習生の先生と練っていたときでした。
先生「この導入なところ、3分は長くないですか?2分にできないかなー?」
私「そう?細案はまだ書いてないんだけど、3分はかかりますよ。」
先生「でも大事なのは話し合いの部分でしょ。そこに少しでも時間を割かないと・・・。」
私「わかりました。じゃあセリフを細案で書いて時間を計ってみましょう。」
そんな話を小声で、朝自習をしている教卓でしていたときでした。
生徒「そんなに細かいんですか??」
教卓の前の生徒がふと呟きました。私たちの会話が聞こえていたのですね。集中を欠いてしまい申し訳ない。
私「そうだよ^^。1分,大事だよね。」
そんな風に答えたと記憶しています。
1分・・・。たった1分ですが,50分の授業のなかの1分です。
生徒はその1分のあいだ,じっと座って拘束され,自由を奪われています。
この1分をどうするか,私たちは細心の注意を払って,授業を練っています。
教育実習中に,生徒に聞かれ答えたこと。これからも大事にしないといけないです。
学校に教育実習受け入れの電話が来たので思い出しました。自戒のための記事です。
【教育実習】生まれて初めての授業の夜 ― 1999/06/29
家に帰って泣きました。
布団をかぶって泣きました。
自分の不甲斐なさにガッカリして泣きました。
もっともっと,分かりやすく説明できるはずです。
もっともっと,生徒の声を取り上げられるはずです。
もっともっと,生徒も私も楽しい授業ができるはずです。
その「はず」だったのに,できていなかった。
周りの実習生,指導教官から,強烈にダメだしされたわけではありません。
それでも自分の思い描いていたものとは違ったのでしょう。
授業をして泣いた。このことは今でも強く記憶に残っています。
未熟な教師でした。あんな思いをするような授業は,もうしてはいけません。
毎日が,1時間1時間が,修行です。生徒は目の前にいるのです。
(教育実習の思い出です。今は2015年3月9日です。もう16年も前の話です。恥ずかしいので,後日,過去へと移動させます。)
布団をかぶって泣きました。
自分の不甲斐なさにガッカリして泣きました。
もっともっと,分かりやすく説明できるはずです。
もっともっと,生徒の声を取り上げられるはずです。
もっともっと,生徒も私も楽しい授業ができるはずです。
その「はず」だったのに,できていなかった。
周りの実習生,指導教官から,強烈にダメだしされたわけではありません。
それでも自分の思い描いていたものとは違ったのでしょう。
授業をして泣いた。このことは今でも強く記憶に残っています。
未熟な教師でした。あんな思いをするような授業は,もうしてはいけません。
毎日が,1時間1時間が,修行です。生徒は目の前にいるのです。
(教育実習の思い出です。今は2015年3月9日です。もう16年も前の話です。恥ずかしいので,後日,過去へと移動させます。)
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