【ドラマ】キムタク主演の『教場』を観ました。 ― 2020/01/05
「ここで生き残った者だけが、警察官になれる。」
のキャッチコピーのとおり、さすがに誰も死にはしませんでしたが、死ぬんじゃないかというくらいの緊張感はありました。
「人を傷つけたものは、人を守ることができる。私の経験からするとな。」
よく言うのは、傷ついた経験のある人間は…だと思うので、それを逆に言ってしまえるのも凄いなと思います。風間教官にいったい何があったのやら。
子どもたちが寝てくれないと、落ち着いてテレビも観れない我が家です。
嫁ちゃんと一緒に録画したものを観ました。
彼女はノートパソコンを持ち込んで、いろいろとミニ情報を流してくれました。
現代っ子のテレビの見方するな~と思いつつ、私も観終わってから少し調べてしまいました。
風間公親や四方田校長がいつも水やりしている『百日草』(ジニア)ですが、その花言葉が・・・
『不在の友を思う』、『遠い友を思う』、『別れた友への想い』
『絆』、『古き良き時代』、『いつまでも変わらぬ心』、
『幸福』、『注意を怠るな』、なんだそうです。
風間教官の過去を想像すると、何となく分かりますね。
でもなんか凄くないですか?そこまでの意図を持って、一つ一つにこだわって作っているのだなと、感心してしまいました。
【感想】
舞台が警察学校というだけでも、目新しくて興味深い設定。
サスペンスあり、人間ドラマあり、涙とちょっとした笑いのある、エンタテイメントドラマだった。
短いストーリーが積み重なっていくんだけど、最後の卒業までを描ききっていて、スピード感があり飽きなかった。
学校で生徒(子供)を教えてるのではなく、最後に社会人として、警察官として送り出すための学校だから、理不尽なほどの厳しさやプレッシャー(緊張感)があった。
中学校の先生として、こんなことはできないわけだけど、あえて言うならば、
生徒の本音、本質を引き出して、自分を表現させられるようになたらいいのかと思った。
その上で、足りないものに気づかせる教材が提供できる教師が素晴らしいというか、教師としての努力なんだろうな、なんて思った。
続編を楽しみに待つ。
のキャッチコピーのとおり、さすがに誰も死にはしませんでしたが、死ぬんじゃないかというくらいの緊張感はありました。
「人を傷つけたものは、人を守ることができる。私の経験からするとな。」
よく言うのは、傷ついた経験のある人間は…だと思うので、それを逆に言ってしまえるのも凄いなと思います。風間教官にいったい何があったのやら。
子どもたちが寝てくれないと、落ち着いてテレビも観れない我が家です。
嫁ちゃんと一緒に録画したものを観ました。
彼女はノートパソコンを持ち込んで、いろいろとミニ情報を流してくれました。
現代っ子のテレビの見方するな~と思いつつ、私も観終わってから少し調べてしまいました。
風間公親や四方田校長がいつも水やりしている『百日草』(ジニア)ですが、その花言葉が・・・
『不在の友を思う』、『遠い友を思う』、『別れた友への想い』
『絆』、『古き良き時代』、『いつまでも変わらぬ心』、
『幸福』、『注意を怠るな』、なんだそうです。
風間教官の過去を想像すると、何となく分かりますね。
でもなんか凄くないですか?そこまでの意図を持って、一つ一つにこだわって作っているのだなと、感心してしまいました。
【感想】
舞台が警察学校というだけでも、目新しくて興味深い設定。
サスペンスあり、人間ドラマあり、涙とちょっとした笑いのある、エンタテイメントドラマだった。
短いストーリーが積み重なっていくんだけど、最後の卒業までを描ききっていて、スピード感があり飽きなかった。
学校で生徒(子供)を教えてるのではなく、最後に社会人として、警察官として送り出すための学校だから、理不尽なほどの厳しさやプレッシャー(緊張感)があった。
中学校の先生として、こんなことはできないわけだけど、あえて言うならば、
生徒の本音、本質を引き出して、自分を表現させられるようになたらいいのかと思った。
その上で、足りないものに気づかせる教材が提供できる教師が素晴らしいというか、教師としての努力なんだろうな、なんて思った。
続編を楽しみに待つ。
【金言】部活動の参加計画に名言を載せる ― 2019/04/25
「参加計画」といったり「引率計画」といったり、呼ばれ方はいろいろある気がします。
私は練習試合・各種大会などは参加企画、中体連大会は引率計画と分けています。
土日に行われる練習試合や各種大会は保護者会の送迎で行っています。
平日に行われる中体連大海は学校からバスが出ます。
この辺の違いで使い分けています。あんまり深い意味はないですね。
ちなみに、そのときに配るプリントには、その日程や持ち物、トーナメント表を記した計画の1番下に、スポーツマンの名言を載せるようにしています。
自分としては「教室でやっていないことは、グラウンドでもできない。グラウンドでやっていないことは教室でもできていない。」というのが第一のメッセージです。
しかし、自分の言葉だけを毎回載せても効果が薄いかな…?他の人の言葉のほうが刺さるかもしれない。と思って始めました
今年度からまた野球部になったので、野球の名言を探すようにしています。
まとめサイトがありますから探しやすいのですが、自分のチームの現状に合った言葉を探すのは大変です。
普段からこういうものに目を通していて、必要なときにさっと取り出せるようになるといいのでしょうね。
『最近つかったもの』
○ 校庭でやっていないことは、教室でやっていない。教室でできないことは、球場でできない。(自分)
○ 努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。(王貞治)
○ 迷ったら前へ。苦しかったら前に。辛かったら前に。後悔するのはそのずっと後でいい。(星野仙一)
○ 浪人時代という挫折があったから、今のボクがあるのです。あれが自分の原点です。(上原浩治)
野球、また勉強です。
べつに野球ができる人間、詳しい人間でものないのに、これまでの経験とか噂だけで、任されている気がします。
いつかパソコン部でロボット作りをしたいな…。(ドローンとかレゴとかプログラミングとか…)
体が動くうちは、野球部にいることになりそうです。。。
私は練習試合・各種大会などは参加企画、中体連大会は引率計画と分けています。
土日に行われる練習試合や各種大会は保護者会の送迎で行っています。
平日に行われる中体連大海は学校からバスが出ます。
この辺の違いで使い分けています。あんまり深い意味はないですね。
ちなみに、そのときに配るプリントには、その日程や持ち物、トーナメント表を記した計画の1番下に、スポーツマンの名言を載せるようにしています。
自分としては「教室でやっていないことは、グラウンドでもできない。グラウンドでやっていないことは教室でもできていない。」というのが第一のメッセージです。
しかし、自分の言葉だけを毎回載せても効果が薄いかな…?他の人の言葉のほうが刺さるかもしれない。と思って始めました
今年度からまた野球部になったので、野球の名言を探すようにしています。
まとめサイトがありますから探しやすいのですが、自分のチームの現状に合った言葉を探すのは大変です。
普段からこういうものに目を通していて、必要なときにさっと取り出せるようになるといいのでしょうね。
『最近つかったもの』
○ 校庭でやっていないことは、教室でやっていない。教室でできないことは、球場でできない。(自分)
○ 努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。(王貞治)
○ 迷ったら前へ。苦しかったら前に。辛かったら前に。後悔するのはそのずっと後でいい。(星野仙一)
○ 浪人時代という挫折があったから、今のボクがあるのです。あれが自分の原点です。(上原浩治)
野球、また勉強です。
べつに野球ができる人間、詳しい人間でものないのに、これまでの経験とか噂だけで、任されている気がします。
いつかパソコン部でロボット作りをしたいな…。(ドローンとかレゴとかプログラミングとか…)
体が動くうちは、野球部にいることになりそうです。。。
【心理】フラッシュバックではなく、フラッシュフォワード ― 2019/03/31
少しずつ【被災地】カテゴリで、東日本大震災について書いていこうと思います。
半年ほどある講座に通って、被災地支援について少し学びました。
無事に資格を取りましたが、それはスタートであって、ここから学び続けるということです。
今回は表題のとおり、「フラッシュフォワード」という用語について学んだことを紹介します。
チェルノブイリ原発事故による精神的影響を追い続けるウクライナ放射線医学研究センターに、コンスタンチン・ロガノフスキー教授(精神神経学)がいらっしゃいます。
教授は次のように述べています。
「福島で起こったことでどのような心理的影響が考えられるかと言いますと、まずはPTSDです。それは特別な形になると思います。
今回の原発事故によるものは、ベトナム戦争やイラク戦争など戦争によるものとは大きく違います。
戦争の場合、過去の経験に何度も気持ちが戻っていきますけれども、
原発事故の場合は、未来に対する不安、子どもたちに障害が起こるのではないかといったことを生涯考えるわけです。
この違いが、精神科医あるいは心理学者、カウンセラーが注目しなければならない点です。」
「フラッシュフォワード」とは、チェルノブイリ原発事故被災者に見られた心理的な現象です。
強いトラウマ体験によって過去を思い出す「フラッシュバック」ではなく、
将来への不安やおそれによるストレス状態が見られるそうです。
その他、講座のときのメモ
1 チェルノブイリの原発事故を処理した作業員に見られた。
2 彼らは過去への恐怖ではなく、被曝したことによる不安に襲われた。
3 震災によって故郷を失った=将来をイメージできなくなるストレス。他の場所なら元に戻る、もしくは想像がつく。原発事故はイメージがない。
4 ストレスから不活発症候群になり、免疫力、抵抗力が下がる。
5 震災関連死の肺炎、心疾患で亡くなる人が48%、自殺者は6%。
6 国の災害慰問金の調査で分かった。個人情報保護法のため、今までなかなか分からなかった。
7 今後の被災者、災害関連死への対応が急がれる。
半年ほどある講座に通って、被災地支援について少し学びました。
無事に資格を取りましたが、それはスタートであって、ここから学び続けるということです。
今回は表題のとおり、「フラッシュフォワード」という用語について学んだことを紹介します。
チェルノブイリ原発事故による精神的影響を追い続けるウクライナ放射線医学研究センターに、コンスタンチン・ロガノフスキー教授(精神神経学)がいらっしゃいます。
教授は次のように述べています。
「福島で起こったことでどのような心理的影響が考えられるかと言いますと、まずはPTSDです。それは特別な形になると思います。
今回の原発事故によるものは、ベトナム戦争やイラク戦争など戦争によるものとは大きく違います。
戦争の場合、過去の経験に何度も気持ちが戻っていきますけれども、
原発事故の場合は、未来に対する不安、子どもたちに障害が起こるのではないかといったことを生涯考えるわけです。
この違いが、精神科医あるいは心理学者、カウンセラーが注目しなければならない点です。」
「フラッシュフォワード」とは、チェルノブイリ原発事故被災者に見られた心理的な現象です。
強いトラウマ体験によって過去を思い出す「フラッシュバック」ではなく、
将来への不安やおそれによるストレス状態が見られるそうです。
その他、講座のときのメモ
1 チェルノブイリの原発事故を処理した作業員に見られた。
2 彼らは過去への恐怖ではなく、被曝したことによる不安に襲われた。
3 震災によって故郷を失った=将来をイメージできなくなるストレス。他の場所なら元に戻る、もしくは想像がつく。原発事故はイメージがない。
4 ストレスから不活発症候群になり、免疫力、抵抗力が下がる。
5 震災関連死の肺炎、心疾患で亡くなる人が48%、自殺者は6%。
6 国の災害慰問金の調査で分かった。個人情報保護法のため、今までなかなか分からなかった。
7 今後の被災者、災害関連死への対応が急がれる。
【金言】雨が降れば・・・ ― 2019/03/18
Evernoteからのアイデア…
むかしむかし、メモだけして放置したノートがありました…。
そんなメモに光を当て直す作業をちょっとずつ進めます。
もう6年も前のノートから見つけたものです。
この本は読んだ記憶がないので、出所がどこかも記憶にない。
でもあの時からすでに、こういう考え方に惹かれていたのだと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ブラジルの精神科医アウグスト・クリ
『素晴らしい親 魅力的な教師』より
「晴天ばかりでなく雨の日も喜ぶ人になりなさい。
雨が降れば耕すことができる。」
教師は理想や生きていく心構えを子どもたちに教えることができる。
やってはいけないこと
みんなの前で叱る
権力を振りかざす
口やかましく言う
子ども時代を奪う
怒りに任せて罰する
説明なしに制限を設ける
見放してしまい、教えさとすことをあきらめる
約束を守らない
夢と希望を壊す
むかしむかし、メモだけして放置したノートがありました…。
そんなメモに光を当て直す作業をちょっとずつ進めます。
もう6年も前のノートから見つけたものです。
この本は読んだ記憶がないので、出所がどこかも記憶にない。
でもあの時からすでに、こういう考え方に惹かれていたのだと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ブラジルの精神科医アウグスト・クリ
『素晴らしい親 魅力的な教師』より
「晴天ばかりでなく雨の日も喜ぶ人になりなさい。
雨が降れば耕すことができる。」
教師は理想や生きていく心構えを子どもたちに教えることができる。
やってはいけないこと
みんなの前で叱る
権力を振りかざす
口やかましく言う
子ども時代を奪う
怒りに任せて罰する
説明なしに制限を設ける
見放してしまい、教えさとすことをあきらめる
約束を守らない
夢と希望を壊す
H30卒業文集「風は吹いている」【原稿】 ― 2019/03/01
『風は吹いている』
新婚旅行でフランスへ行った。
(地球は巨大だよ)なんて思っていたが、飛行機で半日で行けてしまって、(案外小さいのかも)なんて思い直したことがあった。
ちなみに東京→パリ間は12・5時間、パリ→東京間は12時間で、少し速くなる。
地球が自転しているから?いいや、この差は偏西風によるものだ。
風はどうして吹くのだろう。
地球は自転しているので、昼間の地表は太陽に照らされて暖まり、温度差を作り出す。
温度差は気圧の差となり、その差を埋めようと空気が動き出し、風が生じるのだ。
海はどうして波があるのだろう。
風も原因の一つである。地球のどこかでいつも風が吹いていて、海水を動かしている。
もう一つは月の引力だ。それで海水を引き上げて満潮になる。
地球は自転しているので反対側も遠心力で満潮になる。
その中間が干潮になり、その差で波が生じるのだ。
地球は巨大である。
空気も海水も重力によって大地に押し付けられている。
さらに地球は自転している。
動いている空気にも、動いている海水にも、それとは逆向きの摩擦力が生じている。
つまり風も止んでしまうし、波も収まってしまうはずだ。
地球が自転しているから動くのに、地球が自転しているから止まってしまう。
地球とは矛盾に満ちた星なのかもしれない。
動き出そうとする者がいると、それを止めようとする者が現れる。
平和の大切さを学んだ人類が、それでもまだ戦争を起こそうとする。
原発事故を経験した日本人が、それでもまだ原発を再稼働しようとする。
明日を夢見て、希望を語る者がいると、昨日を悔やみ、絶望を嘆く者がいる。
人間とは矛盾に満ちた生き物なのかもしれない。
しかし、地球の自転は止まらない。
宇宙がほぼ真空で、地球との間には摩擦が働かないからだ。
人類の歩みは止まらない。
人間の想像力がほぼ無限で、他者との間には摩擦が働かないからだ。
それならば、私たちはどうだろうか。あなたはどうだろうか。
求められるのは、想像力である。
戦争を求める者の心には何があるのか。
原発再稼働派の人たちの目的は何なのか。
もしかしたら方法論が違うだけで、希求する目的は同じなのかもしれない。
ならば、想像力というハンマーで、その間の壁を壊すことはできないだろうか。
溝を埋めることはできないだろうか。橋を作ることはできないだろうか。
風も波も、私たちを脅かす災害になる時もあれば、私たちを癒すやさしさにもなる。
言葉も刃も、私たちを傷つける時もあれば、私たちを笑顔にするときもある。
方法も目的も、私たちの想像力ひとつで、全然違った未来をもたらしてくれるはずだ。
向い風が吹いているのか、私たちが走り続けているのか。
足を止めてはならない。いつだって風は吹いているのだから。
卒業おめでとう。
新婚旅行でフランスへ行った。
(地球は巨大だよ)なんて思っていたが、飛行機で半日で行けてしまって、(案外小さいのかも)なんて思い直したことがあった。
ちなみに東京→パリ間は12・5時間、パリ→東京間は12時間で、少し速くなる。
地球が自転しているから?いいや、この差は偏西風によるものだ。
風はどうして吹くのだろう。
地球は自転しているので、昼間の地表は太陽に照らされて暖まり、温度差を作り出す。
温度差は気圧の差となり、その差を埋めようと空気が動き出し、風が生じるのだ。
海はどうして波があるのだろう。
風も原因の一つである。地球のどこかでいつも風が吹いていて、海水を動かしている。
もう一つは月の引力だ。それで海水を引き上げて満潮になる。
地球は自転しているので反対側も遠心力で満潮になる。
その中間が干潮になり、その差で波が生じるのだ。
地球は巨大である。
空気も海水も重力によって大地に押し付けられている。
さらに地球は自転している。
動いている空気にも、動いている海水にも、それとは逆向きの摩擦力が生じている。
つまり風も止んでしまうし、波も収まってしまうはずだ。
地球が自転しているから動くのに、地球が自転しているから止まってしまう。
地球とは矛盾に満ちた星なのかもしれない。
動き出そうとする者がいると、それを止めようとする者が現れる。
平和の大切さを学んだ人類が、それでもまだ戦争を起こそうとする。
原発事故を経験した日本人が、それでもまだ原発を再稼働しようとする。
明日を夢見て、希望を語る者がいると、昨日を悔やみ、絶望を嘆く者がいる。
人間とは矛盾に満ちた生き物なのかもしれない。
しかし、地球の自転は止まらない。
宇宙がほぼ真空で、地球との間には摩擦が働かないからだ。
人類の歩みは止まらない。
人間の想像力がほぼ無限で、他者との間には摩擦が働かないからだ。
それならば、私たちはどうだろうか。あなたはどうだろうか。
求められるのは、想像力である。
戦争を求める者の心には何があるのか。
原発再稼働派の人たちの目的は何なのか。
もしかしたら方法論が違うだけで、希求する目的は同じなのかもしれない。
ならば、想像力というハンマーで、その間の壁を壊すことはできないだろうか。
溝を埋めることはできないだろうか。橋を作ることはできないだろうか。
風も波も、私たちを脅かす災害になる時もあれば、私たちを癒すやさしさにもなる。
言葉も刃も、私たちを傷つける時もあれば、私たちを笑顔にするときもある。
方法も目的も、私たちの想像力ひとつで、全然違った未来をもたらしてくれるはずだ。
向い風が吹いているのか、私たちが走り続けているのか。
足を止めてはならない。いつだって風は吹いているのだから。
卒業おめでとう。
【詩】 「学ぶ」 谷川俊太郎 ― 2019/01/27
「学ぶ」 谷川俊太郎
あなたは学ぶ
空に学ぶ
空はすでに答えている
答えることで問いかけている
わたしは学ぶ
土に学ぶ
隠された種子の息吹
はだしで踏みしめるこの星の鼓動
あなたは学ぶ
木に学ぶ
人から学べぬものを
鳥たちけものたちとともに学ぶ
わたしは学ぶ
手で学ぶ
石をつかみ絹に触れ水に浸し火にかざし
愛する者の手を握りしめて
あなたは学ぶ
目で学ぶ
どんなに見開いていても見えぬものが
閉じることで見えてくること
わたしは学ぶ
あなたから学ぶ
わたしと違う秘められた傷の痛み
わたしと同じささやかな日々の楽しみ
わたしたちは学ぶ
本からも学ぶ
知識と情報に溺れぬ知恵
言葉を越えようとする言葉の力を
そうしてわたしたちは学ぶ
見知らぬ人の涙から学ぶ
悲しみをわかちあうことの難しさ
わたしたちは学ぶ
見知らぬ人の微笑から学ぶ
喜びをわかちあうことの喜びを
研修会の最後に紹介されました。
本で読んで知っている詩ではありましたが、久しぶりに読んでみると、そして今回の研修のあとで読むと、非常に深く感じることができました。
というわけで、自分のブログにも記録として残しておきます。
こういういいものは自分の手元、つまり手帳とかに挟んでおきたくなります。
あなたは学ぶ
空に学ぶ
空はすでに答えている
答えることで問いかけている
わたしは学ぶ
土に学ぶ
隠された種子の息吹
はだしで踏みしめるこの星の鼓動
あなたは学ぶ
木に学ぶ
人から学べぬものを
鳥たちけものたちとともに学ぶ
わたしは学ぶ
手で学ぶ
石をつかみ絹に触れ水に浸し火にかざし
愛する者の手を握りしめて
あなたは学ぶ
目で学ぶ
どんなに見開いていても見えぬものが
閉じることで見えてくること
わたしは学ぶ
あなたから学ぶ
わたしと違う秘められた傷の痛み
わたしと同じささやかな日々の楽しみ
わたしたちは学ぶ
本からも学ぶ
知識と情報に溺れぬ知恵
言葉を越えようとする言葉の力を
そうしてわたしたちは学ぶ
見知らぬ人の涙から学ぶ
悲しみをわかちあうことの難しさ
わたしたちは学ぶ
見知らぬ人の微笑から学ぶ
喜びをわかちあうことの喜びを
研修会の最後に紹介されました。
本で読んで知っている詩ではありましたが、久しぶりに読んでみると、そして今回の研修のあとで読むと、非常に深く感じることができました。
というわけで、自分のブログにも記録として残しておきます。
こういういいものは自分の手元、つまり手帳とかに挟んでおきたくなります。
【書斎】どうしてこうも片付かないのか? ― 2018/05/30
このブログを書く今も思うのですが、
書斎がいつでも散らかっています。
デスクトップパソコンのディスプレイ前に、
特に今必要としていない文房具や葉書が置いてあります。
いつから置いてあるのか記憶にもない。
キーボードとマウスの右には、
整理しようと思い立って持ってきた
書類トレイが1ヶ月くらい前から鎮座しています。
その反対側には、3月末の異動のときに頂いた
生徒からの手紙などが積み上げられています。
さらにその横には、前任校で理科室前に並べていた
古い科学雑誌(ニュートン別冊)とかが山積みになっています。
後ろの本棚も、だんだんといい加減に並べた本が
目立つようになってきました。
(片付けよう、片付けよう)と思いながら
書斎に入ってくると、ちがうことを始めてしまいます。
空いている小さいスペースを見つけて、
手帳を広げたり、キーボードを打ったり。
できれば、片付けも習慣化したいものです。
書斎がいつでも散らかっています。
デスクトップパソコンのディスプレイ前に、
特に今必要としていない文房具や葉書が置いてあります。
いつから置いてあるのか記憶にもない。
キーボードとマウスの右には、
整理しようと思い立って持ってきた
書類トレイが1ヶ月くらい前から鎮座しています。
その反対側には、3月末の異動のときに頂いた
生徒からの手紙などが積み上げられています。
さらにその横には、前任校で理科室前に並べていた
古い科学雑誌(ニュートン別冊)とかが山積みになっています。
後ろの本棚も、だんだんといい加減に並べた本が
目立つようになってきました。
(片付けよう、片付けよう)と思いながら
書斎に入ってくると、ちがうことを始めてしまいます。
空いている小さいスペースを見つけて、
手帳を広げたり、キーボードを打ったり。
できれば、片付けも習慣化したいものです。
H29卒業文集「風に立つライオン」【原稿】 ― 2018/03/01
風に立つライオン
「担任の先生がよく言っていることは何ですか?」
面接で生徒が質問されたときに困らないように、自分の決め台詞を考えないと…、なんて思って数年。
私が行きついたのは「プラスアルファ」だった。
「いつもの掃除にプラスアルファしないときれいにならないよ。」
「自主勉にプラスアルファしないと点数伸びないよ。」
「部活でプラスアルファの練習をしないと人より上手になれないよ。」
そんなことを語ってきた(つもりです)。
プラスアルファ…日本語だと、「さらに加えて」だと思う。
他人の2倍も3倍も努力することはできないけれど、あと一割くらいなら頑張れそうだし、昨日の自分より1%増やすことはできる。
今回は前回よりもできるように、もう一歩前進できるように。
小学生のときは剣道をやって竹刀を構えていた。中学生になると野球部でキャッチャーミットを構えていた。高校の吹奏楽部ではトランペットを構えていた。大学生になるとカメラを構えるようになった。
いつも何かを構えて、あと一歩、何かに手を伸ばそうとしている自分がいた。
相手に向かって、相手の胸に、相手の耳に、相手の心に、何とか手を伸ばそうとしていた。
そして、剣道から心技体を常に鍛え、整えること、野球から恐怖を乗り越え、正しい判断をすることを学んだ。吹奏楽からは調和と主張、理想と現実、カメラから世界の見方と歩き方を学んだ。
大人になって、道具に頼って人と関わってきた自分に気づいてからは、カメラがなくても人に近づくために、何も持たない自分と向き合い、勇気をふりしぼる毎日だった。
頼れるものは、この、低くて、小さくて、聞き取りにくい、声しかなかったのだ。
何と声を掛けようか、何と言ったら傷つかないか、何を話せば自信がつくか、どんな言葉を使えば分かりやすいか。
あと一言何と言ったらいいか…、言葉と向き合う日々だった。
毎日にらめっこしている手帳には、そんな試行錯誤のメモがいくつも残っている。
小さな頃からの夢を思い出してみると、お寿司屋さん、大工さん、ゲームライター…、中学生のときは小説家、高校生で教師となり、大学ではカメラマン、大学院で「やっぱり教師」となって今に至っている。
幸運なことに、いつも自分には夢があって、それに向かって歩いていた。
夢の一つ一つは泡のように小さな点だけれど、その点が一日一日の点とつながって線となり、振り返ってみると、今の道につながっている。
大学教授に「点で線を書くくらい実験をしろ」と言われたが、それは人生も同じだと、大学を卒業して二十年経って気が付いた。
今でも夢がある。今でも寿司職人には憧れるし、大工さんは尊敬している。
そしていつかは(中二病と笑われそうだけれど)ゲームや本の世界ではなく現実で、世界を救いたいと思う。
まずは目の前の世界を何とかして、仲間を増やすステージにいる。
風に立つライオンになりなさい。
自分の判断に勇気を持ち、結果を謙虚に受け止め、次に向かって全力を尽くす。
そしてできれば、プラスアルファする。人生はその繰り返しです。
時間は有限でも、夢は連鎖しています。
エネルギーは有限でも、宇宙は循環しています。
涙は有限でも、笑顔は伝播しています。
自分の足で立ち、世界を見に行きなさい。
あなた方と一緒のクラスで過ごせたことを、本当に嬉しく思う。ありがとう。
【金言】はきものをそろえる ― 2017/04/28
『はきものをそろえる』
はきものをそろえると こころもそろう
こころがそろうと はきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと
世界中の人の心も そろうでしょう
藤本幸邦 和尚 (長野県篠ノ井町円福寺)
かつて勤務していた学校の体育館入り口に掲示されていました。
当時もいい詩だな~と思って写真を撮った記憶があります。
(その写真がどこにいったかは分かりません)
先日、またこの詩に出会うことができたので、今回は忘れないようにブログにアップしておきます。
学級通信のネタにも使いました。
うちの学校でも、はきものをそろえる習慣をつけさせようと頑張っています。
非常に素直な生徒たちなので、やろうというとすぐにやることはできます。
下駄箱のくつはきれいにそろっています。
しかし、大事なのはその次です。
『だれかがみだしておいたら だまってそろえておいてあげよう』
つい面倒がってやりません。
ついチクるように先生や友達に言ってしまいます。
つい恩着せがましくその子に言ってしまいます。
そうです。
誰かの靴が乱れていたら、直してあげて、そしてそのことを誰にもアピールしないのです。
自分も含めて、いいことをすると、ついついアピールしたくなりますよね。
そこを謙虚に。
誰にもほめられなくても、貢献感を味わって満足して終わるのです。
くつをそろえる。
単純なことですが、だからこそ一生続けていく修行ですね。
はきものをそろえると こころもそろう
こころがそろうと はきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと
世界中の人の心も そろうでしょう
藤本幸邦 和尚 (長野県篠ノ井町円福寺)
かつて勤務していた学校の体育館入り口に掲示されていました。
当時もいい詩だな~と思って写真を撮った記憶があります。
(その写真がどこにいったかは分かりません)
先日、またこの詩に出会うことができたので、今回は忘れないようにブログにアップしておきます。
学級通信のネタにも使いました。
うちの学校でも、はきものをそろえる習慣をつけさせようと頑張っています。
非常に素直な生徒たちなので、やろうというとすぐにやることはできます。
下駄箱のくつはきれいにそろっています。
しかし、大事なのはその次です。
『だれかがみだしておいたら だまってそろえておいてあげよう』
つい面倒がってやりません。
ついチクるように先生や友達に言ってしまいます。
つい恩着せがましくその子に言ってしまいます。
そうです。
誰かの靴が乱れていたら、直してあげて、そしてそのことを誰にもアピールしないのです。
自分も含めて、いいことをすると、ついついアピールしたくなりますよね。
そこを謙虚に。
誰にもほめられなくても、貢献感を味わって満足して終わるのです。
くつをそろえる。
単純なことですが、だからこそ一生続けていく修行ですね。
担当の部活が変わるとき ― 2017/04/05
今年度から『卓球部』をもつことになりました。
今までの部活を振り返ってみると、15年間のうち12年くらいは野球部でした。
最初の「講師のときに野球部だったから」というのが一番の理由でしょう。
どうしても「前の学校では何部だったの?」というのが影響します。
昨年度末の人事の話のときに、野球部顧問から卓球部顧問に変わることを打診されていました。
最初は「え!?」と思いました。ショックがなかったわけではありません。
今の3年生は入学したときから面倒を見てきた生徒たちでした。
生徒たち相談してユニフォームも超カッコいいのに変えました。
ポジションも打順も、技術や素質やメンタルを鑑みて決めてきたつもりでした。
他の先生方の異動の話を聞くうちに、だんだんと有り得ない話ではないと納得できました。
自分の好きなことだけできるほうが珍しいわけです。
一度だって、人事(校務分掌)が自分の思い通りになったことはないのですから。
そんなこんなで、そのことを受け入れて、新年度を迎えました。
そして、歓迎会の酒席で、ある先生からこう言われました。
「野球部から卓球部に変わったのに、大して感じてないの?」
「大して感じてないの?」には「ショックじゃないの?」というニュアンスがこもっていました。
私が校務分掌の発表のときに、飄々とした顔をしていたのでしょう。
もともとペラペラしゃべるタイプでもないですし、感情を表に出すタイプでもないので、そう思われても仕方ないですね。
この場で言わせてもらうと、
私が卓球部に移動することを悲しんだら、受け入れる卓球部の生徒はどうなるでしょう?
そんな先生に来られるほうが嫌ですよね。自分たちは顧問が変わるわけですから。
私が喜んだら、顧問が変わる野球部の生徒はどうでしょう?
そんな姿を見たらショックを受けますよね。自分たちは変わらないと思っていたでしょうから。(4月1日に練習試合もしてたのに)
ですから、生徒のために、私はこの人事を内心いろんなことを思いつつも、飄々と受け止めた顔をしているのです。
それが生徒のためです。
生徒のためだと思うのです。
生まれて初めての卓球です。
できるだけのことはやってみます。
今までの部活を振り返ってみると、15年間のうち12年くらいは野球部でした。
最初の「講師のときに野球部だったから」というのが一番の理由でしょう。
どうしても「前の学校では何部だったの?」というのが影響します。
昨年度末の人事の話のときに、野球部顧問から卓球部顧問に変わることを打診されていました。
最初は「え!?」と思いました。ショックがなかったわけではありません。
今の3年生は入学したときから面倒を見てきた生徒たちでした。
生徒たち相談してユニフォームも超カッコいいのに変えました。
ポジションも打順も、技術や素質やメンタルを鑑みて決めてきたつもりでした。
他の先生方の異動の話を聞くうちに、だんだんと有り得ない話ではないと納得できました。
自分の好きなことだけできるほうが珍しいわけです。
一度だって、人事(校務分掌)が自分の思い通りになったことはないのですから。
そんなこんなで、そのことを受け入れて、新年度を迎えました。
そして、歓迎会の酒席で、ある先生からこう言われました。
「野球部から卓球部に変わったのに、大して感じてないの?」
「大して感じてないの?」には「ショックじゃないの?」というニュアンスがこもっていました。
私が校務分掌の発表のときに、飄々とした顔をしていたのでしょう。
もともとペラペラしゃべるタイプでもないですし、感情を表に出すタイプでもないので、そう思われても仕方ないですね。
この場で言わせてもらうと、
私が卓球部に移動することを悲しんだら、受け入れる卓球部の生徒はどうなるでしょう?
そんな先生に来られるほうが嫌ですよね。自分たちは顧問が変わるわけですから。
私が喜んだら、顧問が変わる野球部の生徒はどうでしょう?
そんな姿を見たらショックを受けますよね。自分たちは変わらないと思っていたでしょうから。(4月1日に練習試合もしてたのに)
ですから、生徒のために、私はこの人事を内心いろんなことを思いつつも、飄々と受け止めた顔をしているのです。
それが生徒のためです。
生徒のためだと思うのです。
生まれて初めての卓球です。
できるだけのことはやってみます。
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