「3.11」から3年…。2014/03/11

2011年3月11日「東日本大震災」から3年が経ちました。

各地で式典が行われ,半旗が掲げられ,黙とうが捧げられました。

テレビでは津波や原発事故についての放送,被災者や放射線に関する報道が多い1日でした。




そういう自分はといえば,今日一日はふさぎ込んでいました。

自分のなかで様々な声が反響していて,人と話す気になれませんでした。

これがPTSD(心的外傷後ストレス障害)なのかもしれないな,ああ,オレはまだ立ち直っていないんだな,と気が付きました。




あのときの判断は正しかったのか・・・?

あのときの行動に不実はなかったのか・・・?

あの置き去りにした住民のみなさんはどうなったんだ・・・?

自分のことを恨んでいないだろうか・・・?

でも自分だって被曝したんだ・・・。

だけど自分は逃げるところがあったじゃないか・・・。

嫁ちゃんと500人を天秤にかけるようなことをしていいのか・・・?

もっといい解決策があったんじゃないか・・・?

嫁ちゃんと家族を守ることができたんだ,それでいい。いや,でも・・・




今は周りに同じような経験をした人がいません。

思いを共有できる人がいないというのは,しんどいのだな,と思いました。

だからこうしてブログで打ち明けているのでしょうね。

スクールカウンセラーともっと気楽に話せたらいいのだけれど,共感してもらえるかどうか・・・不安に思ってしまって,誰に打ち明けることもできません。

もちろん,嫁ちゃんという強力な理解者がいてくれるのは,この上ない有り難いことなのですが・・・,いまは娘ちゃんが中心の生活です。自分のことは自分で処置しなければなりません。




あれから3年・・・。何か変わりましたか?

3年も経ちましたか?3年しか経っていませんか?

私はこの3年で,震災が引き金となった3回の異動と2回の引っ越しをして,ライフイベントとして結婚と出産を経験しました。



今でも置き去りにした避難者のみなさんのことを思いだして苦しくなります。

異例の人事によって急きょ別れることになった生徒たちのことを思い出して申し訳なくなります。

立て続けの引っ越しの都合で何の挨拶もできずに去ることになった学校への情けない思いも持っています。



新しい異動先では,新しい出会いだけではなく,懐かしい先生ともお会いできました。

ICTやNLPといった,それまでの自分の考え方・授業のやり方の基盤を揺るがす経験もしました。

自分が夫になり,父になり,自分の新しい家族を築くことになりました。それに合わせて,たくさんの親戚もでき,温かな出会いをたくさん経験しました。



幸も不幸も,十分にありました。失ったものも,新しく得たものも,本当にたくさんあります。





テレビ画面に(このあと津波の映像が流れます)というテロップが出るたびに,そんなに気を使うんだったら初めから放送しないでよ,なんていう独りよがりな思いが込み上げました。

あの津波で流されていく家々を見るたびに,そこに大勢の人の人生が詰まっていたのだ,と考えてしまいます。

原発から放射線が拡散したという図を見るたびに,それで大勢の人の人生が狂わされてしまったのだ,と感じてしまいます。

自分もその端くれです。端くれであるために,当事者としても,第三者としても,中途半端で困っているのだと思います。

泣くに泣けない。泣くほどでもないけど,他人事にも思えない。

こんな感情は誰にも説明できません。

だから今日は,一日ふさぎ込んでいたのです。



まもなく夜が明けます。「4年目」の第一歩です。
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